歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第1話 心に残るチャレンジの旅のスタート

さて、今日からいよいよ予てから予告していた

学生時代の心に残るチャレンジの旅の記事がスタートです。

若い人に特に、あきらめない事、人情などについて知ってもらいたいと思います。



お話は、今から20年ほど前の大学一年の夏にさかのぼります。

歴史好き、特に徳川家康が好きだった私は

山登りの経験を活かし、名古屋の熱田神宮から静岡の久能山東照宮まで

すべて歩きで、500キロの道のりを旅する計画を立て

実行しました。

その理由については、こちら をご覧ください。

平成元年(1989年)8月24日の23時

私は、東海道本線の大垣行きの列車に乗る為、東京駅のホームに居ました。



この大垣行き列車は、寝台列車ではありませんが、

夜中に東京を出発し、朝方には岐阜県大垣につく列車でして

青春18きっぷと言う学生向けの、一日乗り放題の切符を使えば

安く名古屋方面へ行けるので

多くの貧乏学生が使っていた列車でした。

朝方6時には名古屋の熱田神宮に付き、ここから初めての歩きの一人旅

約2週間の行程が始まります。



当時一年生がプランを自分で出して行くことなど考えられず

3年生の執行部は戸惑っていたそうですが

平地のプランだし、単なる旅行届の域としてくれて

綿密なる、計画書だけを受け取って許可をもらいましたので

だれも見送りには来ないのだろうと、一人ホームでザックに腰掛け

列車待ちをしていると、

次から次へと先輩たちが、差し入れを手にしながらホームに現れました。

ちなみに差し入れは

マックシェイク、ビール、ケーキ、菓子、チョコレート、サンデー、冷凍ミカンと食べきれない程いただきまして

東京駅のホームは、宴会場と化しました。(笑)


「本当に2週間も歩ききれるか?」と心配してくれる先輩たちに

「ここまでしてもらったんだから、意地でも歩き切ります。!」

と私は宣言しましたが

その時の私には、この旅が如何に無謀な旅であるかなど、思いもよりませんでした。

家康の史跡を巡りながら500キロを歩く旅は、こうして始まりました。


23時25分大垣行きの鈍行列車は出発しました。

若いころのチャレンジは恐れを知りませんから

この後、多くの試練が私に待ち受けてるとは・・・・・・・知る由もなかったのです。


つづく