6月は当社の決算月で、今までであれば、夜遅くまで、様々な仕事をしていたものです。
しかし、最近の私の行動パターンたるや、劇的に変化しております。
業界、地域、町会、商店街、様々な行政のお役等
昔に比べたら様々なことをやりすぎですが、昔に比べそれらが全てうまく制御できています。
そして現在、会社の社屋の建て替えに伴い、仮店舗や外商部の事務所、自宅や町会会館などで仕事をしますが、以前のように真夜中まで仕事をすることなどほとんどなく、
遅くても、夜の8時、通常であれば6時には仕事を終えるようにしています。
まぁその後毎日のようにどこかしらで会合があるので、5時または6時に仕事を終えないと、スケジュールが間に合わないんですけどね。(笑)
社内も働き方改革をしてほとんど残業などしないようにさせています。
私だけでなく、従業員も年々歳をとってきますので、効率を上げて時短するのは、体力、気力の減少に対応することでもあるんですけどね。
そんな真っ黒のスケジュールの中、どうしてもしてみたいことがありまして、
それはライブに行くこと。
実は社会人になってからは働き詰め走り詰めでしたので、1度も本格的な、音楽、ライブなど行けておりませんで、最後に行ったライブが大学時代に亡き妻と渡辺美里のコンサートに、一緒に行ったきりでした。
だから、仕事の制御や時間の制御がやりやすくなった今、ライブに行きたくなったんです。
でも一緒に行ってもらえる妻は、もうこの世にはおりませんので、代わりに娘に付き合ってもらいました。
1番行きたいのはサザンオールスターズや桑田さんのライブなんですが、さすがにチケットを取るのは超困難なこと。
そこで2番目に行きたかった福山雅治の横浜アリーナライブに参戦してきました。
まず困ったことが、私は紙のチケットでしかライブなど行ったことなく、スマホで入場するなど昔ではありえないことでした。
そして久しぶりにチケットを取ったりしますので、やり方が全くわからん。
全て娘に任せましたが、チケットが取れたのは前日の真夜中
ほぼ当日です。
でも注釈付き指定席で、見えづらい席だとか
でもそんなの関係ねぇと、ワクワクしながら日中仕事をしていました。
メーカーさんと同行で件数もそれなりにこなし、内容もすごく濃い仕事をした後、
夕方新横浜で娘と合流です。
こんなにワクワクしながらライブの開演時間を迎えられるとは思っておりませんでした。
そして、座った席が、なんとステージのほぼ真横で、福山雅治本人がめちゃくちゃ近い場所でした。こんなラッキーなことってあるんですね。
もう感動もの!
そしてほとんど知ってる曲ばかり。しょっちゅうカラオケで歌ってる曲ばかりでした。
さらに思ったのが、NHKの大河ドラマ龍馬伝の龍馬よろしく、めちゃくちゃかっこいい男前な福山雅治を近くで見れて感動でした。
途中のMCの中で、福山雅治が
35年の芸能界人生をたどって、初めて長崎から上京した頃は、上手くできなかったことが、ファンの皆さんのおかげで徐々に上手くできるようになったと言う話を聞いて、みんな同じなんだなぁとつくづく感じました。
ちなみに私は福山雅治と同い歳です。
彼の外観は本当に男前で若くも感じ、本当に同じ歳なのかと思うようなパワフルかつ若さを感じましたが、1つだけ気になったことがありました。
それは、スクリーンに映し出されるギター演奏のアップの映像でした。
福山雅治のギターの演奏は本当にうまいなぁと思いつつ、すごく感じたことが、彼の演奏する右手が私の右手よりやけにくたびれていて、年期の入った右手だったことでした。
彼曰く、長崎から上京した時、上京資金20万円を財布を持っていなかったので、靴下に入れて列車に乗ったそうです。本当にあの時何も持っていなかった。唯一持っていたのは「かっこよさ」だけだった。とか冗談で言いますが、
本当の彼のかっこよさは、顔やスタイルではなく、あの年期の入ったギターを奏でる右手だと思います。
きっと様々な曲を作ったり、演奏したりあの右手がその努力を物語っていると思います。
私が好きな福山雅治の曲の1曲に「道標」と言う曲がありますが、その歌詞に
私はその手が好きです ただ毎日をまっすぐ生きて
私たちを育て旅立たせてくれたあなたのその手が好きです
雨に打たれても、土に触って 一つ一つ種を巻く背中は
諦めた夢もきっとあるでしょう だけど私には笑顔で
と言う部分があり、誰かのために頑張って年期の入った手を好きだと言って、その親の手と自分の手が似通ってきていると最後締めくくられるのですが、
福山雅治の右手を見て、まさに誰かのために頑張ってきた証しを見た気がしました。
人の本質はその見た目ではなく、内容なんだと改めて感じました。