歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第3話 熱田神宮の亀

本日3回目の更新です。

引き続き

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

1989年8月25日の早朝、東海道線鈍行列車で愛知県名古屋の熱田神宮に降り立った私は

さっそく、熱田神宮にお参りに行きました。

この徳川家康の旅の始点をここに選んだのは

家康が幼少時に、織田の人質として2年間過ごした場所であったことと

桶狭間の合戦時に信長が、ここで織田軍を集結させ

今川義元本陣に切り込んだためでした。



私が熱田神宮に参拝した時間は、早朝であったので、

人はまばらでしたが

地元のご老人が、各お宮に参拝するのについて回り本殿へ!



ここで、砂利の道に何やらうごめくものを発見しました。

近づいて見てみると



石ではなく、亀でした。(笑)

ゲゲー!!熱田神宮は、道に亀がいるのか?と驚いていると

向こうからジョギング中のおじさんが登場し

亀を嬉しそうに持って行ってしまいました。


警備の人に聞くと、

近くに池があって亀はそこから朝いつも這い出てくるとか・・・・・

ジョギングのおじさんはいつも、その亀を池に帰しているとか・・・・


あー ビックリした!

おじさん亀を食べちゃうのかと思いました。(笑)


その警備員さんに、本殿前で写真を撮ってもらいました。



この旅は一人旅でしたので、あまり自分が写真に写ってません

これは貴重な写真!

そしてこの時の装備は、ザックの中に

テント、コッヘル、火器、寝袋などの生活必需品と

薬品、非常食、そして、食料でして

しめて25キロほどありました。

この時点では、その重みをあまり感じていないのですが

この後、日が経つにつれ、背中の重みは増してくるのでした。


そして、熱田神宮から地元の人たちに道を聞きながら

第一目標の家康人質時代の屋敷跡へ



家康が幼少時の竹千代時代に

6歳から8歳まで過ごした、加藤図書の屋敷跡です。

今ではこのような高札が立っているだけですが

2年間も人質となって苦労したわけです。

それも、本来今川が他の人質として送られるはずが

途中、織田方に奪われ、敵中の孤独な生活です。
(小姓はいましたが)

以前書きましたが、幼少時に親元から離れて生活するという体験は

私もあります。

それが如何に辛いことか・・・・・

などと数分ここで考え込みました。

しかし、私も経験がありますが

その経験が、大人になって活かされる事も知ってます。

家康の忍耐の始まりの場所なのです。


つづく