歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

氷川丸

本日4回目の更新です。

本日3回目の更新で載せた横浜港の氷川丸

元は、北米航路の貨客船でした。

貨物と乗客を乗せて確かシアトルと日本を往復する路線だったと思います。

同係船に「平安丸」という船も有り、2隻の姉妹船でした。

この2隻の運命は、太平洋戦争で大きく分かれました。

両船ともに海軍に徴用されたのですが



平安丸は、客室等のキャパシティと貨物室の手ごろさから

特設潜水艦母艦となりました。

潜水母艦とは、遠い前線で活動する潜水艦隊の乗組員の休養と

物資の補給、潜水艦隊旗艦としての司令部機能を併せ持つ軍艦です。

平安丸は、昭和19年にトラック島大空襲にて多くの日本船舶と供に沈みました。


現在は、南の国ミクロネシアのトラック諸島、デュプロン島の北西の海底に眠っています。
(こんな形で沈んでます。)
ダイバーが写した写真には、潜水艦の交換部品の潜望鏡も見えます。

これに対し、氷川丸は、同じ海軍徴用船といっても病院船となりました。

病院船は、白の外観塗装に赤十字のマークを付け

国際法上、攻撃してはならないとされていた為

何とか生き残る事が出来ました。

戦後、再度、北米航路で活躍した後

横浜港で保存船となったのでした。


この氷川丸には、小さい時(3歳くらい)にある思い出があります。

今も一緒に仕事をしている叔父貴に連れられ

氷川丸に乗った事があります。

保存船なので明らかに動かないのですが

子供だましか

「波が出ているだろ!ほら、動き出した」とうそぶかれた記憶です。

子供心に 

おじさんはウソをついている・・・・騙されるもんか・・・・・・と

最後には、「さあ戻ってきた!入港だよ!」という言葉に

「じゃあ 景色が変わらなかったのは不思議だね!」と言い返しましたが

こういう事はよく覚えているものですね!