歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

朝日

本日2回目の更新です。

今朝長男と共に朝日を浴びてきましたが

本日記事にする朝日はその朝日に有らず



日露戦争の主力戦艦の一隻である戦艦朝日です。

現在NHKの坂の上の雲にも出てきてますが

この当時、イギリスにおいてロイヤルサブリンという名の艦が竣工し

世界に戦艦と呼ばれる艦種が誕生しました。

そのイギリスから日本海軍は、ロイヤルサブリンの同形艦たる

富士、八島の2隻を購入

その後、ロイヤルサブリン級の後継艦であるマジェスティック級戦艦を基本とした

戦艦敷島を購入しました。

この敷島級は、4隻イギリスに発注され

敷島、朝日、初瀬、三笠と名付けられました。

その敷島級の2番艦が「朝日」です。


先日、坂の上の雲で、我が母校の先輩たる広瀬中佐と秋山真之中佐がこの艦に乗り込んだ際に

「国民の貴重な税金で作った艦だから大切に使わないと・・・・」

というセリフがありましたが

まさに、当時の日本にとっては高い買い物です。

そして、最新鋭の戦艦を売ってくれたイギリスもすごいのですが

低所得の日本にとっては、列強の帝国主義の仲間入りをするための

貴重な投資だったはずです。

富国強兵ではありませんが

この当時は、兵力による外交や国力、経済の発展(他国の権益奪取)でしか

無かったのかもしれません。


さて、話は戦艦朝日に戻りますが

戦艦6隻を有した日本海軍の連合艦隊ですが

日露戦争旅順港封鎖作戦の際に、

八島と初瀬の2隻の戦艦を敵の機雷によって一日にして失う事となり

のちの黄海の海戦、また、バルチック艦隊との日本海海戦には

残った4隻の戦艦で戦う事になり

朝日はこの主力艦として活躍します。

その後は、第二次世界大戦前の軍縮条約により

朝日は工作艦(修理を専門とする艦)に改造され

太平洋戦争にも参加します。



しかし、低速な朝日は1942年5月26日、米潜水艦により撃沈されてしまいます。


現在この記事を、まさに朝日を浴びながら書いてますが

明治の日本の運命を握った船の名が

この様にまぶしいのに

平成の我々は、周囲にまぶしさを忘れてはいないでしょうか?

ふと

思いました。