歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

黒船

本日は6月第一土曜日で当社マルハチは出勤日

こつこつと、事務作業などしています。

そして1日ですので、毎月恒例の屋上のマルハチ稲荷への商売繁盛祈願などもしてきました。

そんな本日のタイトルは「黒船」

久しぶりに本来の歴史研究家のネタです。

皆さんは、幕末の嘉永六年に日本に初めて来航したペリー艦隊を黒船と称したのは知っているでしょうが

そのペリーの艦隊とはどのようなものだったのか?

当時それほどの脅威だったのか?

とかって考えた事ありませんか?

当時の幕府が、アメリカとたたっては国力の違いから勝てないと思った黒船

最近私の疑問の一つだったので調べました。

嘉永六年の最初のペリー艦隊は、実はたったの四隻

当時、日本人が見た事も無い蒸気船の印象がありますが

4隻の内、2隻は通常の帆船でして

旗艦「サスケハナ号」が76m

ミシシッピー号」が67mの2隻のみが蒸気船でした。

船の大きさは通常排水量とかで示しますが

素人さんたちには説明が難しいので長さで大きさをイメージしてもらうと



横浜港内を遊覧するレストランシップ「ロイヤルウイング」よりも小さく



中型の遊覧船規模でして

更に、当時は旧式化しつつある外輪船でした。


当時世界では船の外側に水車型の推進器を取り付けた「外輪船」と

船の艦尾の底にスクリュー推進気を付けた「スクリュー船」とがありまして

黒船来航の1853年の8年前に、イギリスにて同規模の

外輪船とスクリュー船で綱引きをして「スクリュー船」が勝ち

外輪船は旧式化していたのです。

こう考えると、あの黒船騒ぎは何だったのか?

とも思いますが

現在は、レストランシップより大型の船がいくらでもありますし

その様な船が小さく見えるようなベイブリッジなどの大型建造物が数多く存在します。

そう考えると、わずか2隻と言えども蒸気をはいて進む船は、大いなる脅威だったのでしょうね!

まるで、現代に

小型のUFOが二機飛来したかのように・・・・・・

そう考えると、もしかしたらUFOはまだたくさんいるんじゃないか?

とてつもない未知のテクノロジーが存在するのではないか?

こんな、脅威感を当時の日本人は持ったのでしょうね!