歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第39話 鳥居 強右衛門

本日4回目の更新です。

引き続き

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

歩き始めて6日目、長篠城に到着です。

長篠城には現在、資料館があり

鉄砲や甲冑などが展示され、多くの観光客が来ていました。







この旅で一番観光客がいた場所ではなかったでしょうか?

そして、そこに鳥居 強右衛門(すねえもん)の絵がありました。



彼は、ひとつ前の記事でも書きましたが

武田に包囲され陥落寸前の長篠城から援軍を請いに行った使者です。

彼は奥平九八郎貞昌の足軽でしたが、水泳の達人でした。

川を泳いで幾重にも張り巡らされた警戒線を潜り抜けて

岡崎まで使者として走りました。

私が岡崎からここ長篠まで重い荷物を背負って約3日かかりましたが

荷物なしで寝ずに走っても、1日はかかるでしょう!

強右衛門は岡崎で使者の役目を終えても、休まず

今度は、援軍が来ている事を仲間たちに告げる為

長篠城まで戻ってきます。

しかし、運悪く武田勢に捕まってしまいました。

武田勝頼は、強右衛門に、褒美をやるから城内に向かって

「援軍は来ない!あきらめて早く城を明け渡せ!と叫べ」と命じまして

城内の士気を弱め、落城に追い込もうとしたのです。

強右衛門は、本丸の隣、二の丸の端まで連れてかれます。



そこで彼はゆっくりと大声で叫びます。

「城中の方々、鳥居 強右衛門このように捕えられてしまいましたが

少しも悔いてはおりません。織田徳川連合軍は・・」

ここまで言って、彼は思いっきり息を吸い込み

渾身の大声で早口で叫びます。

「既に3万の軍勢を率いて岡崎を発した
数日のうちに運命は切り開かれよう!
城は堅固にお守りあれ〜!」



これを聞いた勝頼は激怒し、その場で強右衛門を磔にして殺したのですが

それを見ていた武田の武士「落合左平次道久」がその忠義心に感動し

自分の旗にさせてほしいと、死にゆく強右衛門に許可を取り

書いたのがこの絵なのです。



強右衛門の捨て身の行動により、長篠城内の城兵たちを大いに奮い立ち

長篠城は陥落せず、織田徳川連合軍が到着し武田勢は敗れたのでした。


歴史の教科書には長篠の戦は「鉄砲で武田が破れた!」となっていますが

私は、それは一つの手段であっただけで

本当の勝因は、この 鳥居強右衛門であったのではないかと

強右衛門自体でなく、彼の行動により

武田全軍は、敵対する織田徳川連合軍の忠義心や団結力を知り

そして、自分たちの主君武田勝頼の姑息なやり口を目にしたわけで

戦う前から、武田軍内に敗北感に襲われたのではないでしょうか?



そんな、鳥居強右衛門最後の地で

私はしばらく手を合わせずにはいられませんでした。



つづく