歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第37話 馬場信春の最後

本日3回目の更新です。

引き続き

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

歩き始めて6日目、鉄砲で有名な長篠の設楽が原の古戦場を過ぎ

一路、長篠城

その途中、武田の武将「馬場美濃守信春」の首塚だったか?墓の地を訪れました。



武田信玄の代からの老臣で

他の老臣たちと、勝頼に決戦を避けるように進言したものの

受け入れられず、合戦中は奮戦しましたが

総大将の武田勝頼が敗走し始めると

全軍の殿軍(しんがり)として、最後まで戦場に残り

最後は、「自分を討ち取ってみよ!」と抵抗もせず討ち取られたそうです。

武士として潔い死を迎えた?

などと思う方もいらっしゃるでしょうが

私は違いました。

小説「徳川家康」において各武将の最後を見ると

多くの場合、ここまでか!とあきらめて死に至っていますが

私も幾度となく、死やピンチに差し掛かることがありましたが

その時、絶対生きてやる!とか絶対乗り越えてやる!

といった思いで、切り抜けてきました。

人間はあきらめた時が最後でしょ!

最後まであきらめなければ

格好が悪くても生きていけます。


実は家康もそうでした。

三方が原の戦いの後、武田勢に散々にやられ

敗走し命からがら浜松城に逃げ帰ってきた時

馬の上で糞を漏らしてました。(笑)

しかし、それでも生き残って、征夷大将軍まで登りつっめるのです。



人間最後まであきらめない!

格好悪くても、最後の最後まであがく!

そう私は思います。


馬場信春の場合、若い主君勝頼に老臣として疎まれた事や

武田の将来を悲観したのでしょうが

そうならないように、事前に勝頼は策を練らなければならなかったのです。

そういう意味でも、大将たる者、未来への布石を打っておく必要はありますね!



つづく