本日3回目の更新です。
引き続き
大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。
歩き始めて6日目、やっと長篠城に到着です。
長篠城は、豊川とその支流が合流する三角地点にあります。
この城も石垣つくりの城ではなく、土塁の城ですが
有名な長篠の合戦は、この城をめぐる戦いでした。
徳川家康配下の奥平九八郎貞昌の250の兵に家康からの援兵250を合わせ
500の兵が籠るこの城を武田軍15000が包囲したのです。
奥平貞昌は、父の貞能と共に元々は徳川方の武将でしたが
三方が原の合戦前に、武田信玄の軍勢に不本意にも下ることになり
この4年前に武田方に人質を差出していましたが、
この2年前に武田方を裏切り、徳川方となっていました。
裏切りを繰り返すのは、皆さんあまり良い印象を持たれないかもしれませんが
元々、奥平家などこの地方の武士団、山が三方衆は、家康の祖父清康の時から
松平家(徳川家)に従っていて、父の貞能なども家康を買っていましたが
国境沿いの小領主ですので、意に反して武田信玄に従わざるを得なかったのでした。
そして、信玄亡き後の武田家を出て家康方に返り咲いたので
息子の奥平九八郎貞昌の守る長篠城攻略は
武田方には怨念深い攻撃となったわけで
その攻城戦は熾烈でしたが
若いながらも、家康の婿となっていた九八郎は善戦し
なかなか長篠城は落ちませんでした。
しかし、城内の食糧庫を奪われて
残るはこの本丸だけとなってしまいます。
そこで、岡崎城の家康に援軍を請いに使者が出ます。
それが、鳥居 強右衛門です。
つづく