歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第41話 おふうの涙

昨日に引き続き

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

本日は、この旅の歩き始めて7日目の出来事です。

この日はこの旅最大の難所である山越えです。

この記事は是非読んでいただきたいと思っています。




さて、鳳来寺山近くのキャンプ場で目覚めた私ですが

前夜からの雨が、早朝でも降りしきっていました。

その日の行程は、この旅最長の歩行距離48キロでしたので

朝6時に出発の予定でしたが、その時間もまだ雨が激しく振っており

前日の夜聞いた天気予報では、雨はすぐ止むとの事でしたので

しばらく、バンガロー内で待機し、久しぶりの二度寝をしてしまいました。


それでも、雨は止まず、これ以上待機すると山中で野宿することになりそうだったので

仕方なく、出発することにしました。



この日の朝一番に向かう先は、この旅を計画した際に絶対に行きたい!

いや 行かなければ!と思った場所でした。

それは、とある3つのお墓です。

昨日の「第38話長篠城に到着」で少し触れましたが

長篠城の守りに着いた奥平氏が武田に出した人質の墓です。

小説徳川家康にはこのお話がつまびらかに出てきます。

一度は武田に降伏し、3人の人質を差し出した奥平氏ですが

武田をよく思わない彼らは、長篠の合戦の2年前、武田を離反し

一族郎党の大半を率いて徳川方に走りました。

それに伴い、離反から5日後の8月26日には、

次男仙千代をはじめとした人質3人が串刺し刑で処刑されました。

その中の一人、奥平貞昌の許嫁とされたのが「おふう」です。

実は、許嫁とは名ばかり、重臣黒屋甚九郎の娘で

泣く母親をたしなめ「お家の役に立つのは結構な事」と

初めから人質になる覚悟で、嫡男貞昌の許嫁役を買ったのです。


そして、このおふうが武田勝頼に、言った言葉を私は今も覚えています。

「人間の世界は、騙しあいで痛ましい!今度生まれ変わるのなら

自分は畜生(動物)に生まれ変わりたい!

鳥や獣の方が、自由に生きられる!」と言った事を


歴史研究家として、大きな合戦や大好きな家康の史跡を訪問するのに

こういった歴史の中で犠牲になっていった人達を忘れることはできません。


そして、串刺しで処刑される時

言われのない罪で処刑されるのを恨んだおふうは

「やっと自分が生まれ変わったら何になるのかが解った

自分は、鬼になろう!鬼になるぞ!鬼になるぞ!」と叫びながら

彼女は死を迎えます。

15、6の娘だったろう おふう を鬼になんかできません!

「人は活かしてこそ人の道」と家康は、そのような勝頼の処刑を憎み

また、自分の為の犠牲である事にも懺悔しています。


私は、どうしても おふうのような悲劇を失くす努力を誓うためにも

おふうのたちの墓を訪れました。



仙千代の墓に比べ



おふうの墓は道端にひっそり立つ墓石のみでした。




雨がまだ降りしきる中、道端にあるおふうの墓に手を合わせ

「絶対に鬼になんかならないでください。」と祈りました。

鬼なぞ生み出さない世界を作る!

それが家康の旗「」の心です。



自然と頬には雨粒ではない物が流れてました


歴史は悲劇の繰り返しかもしれませんが

歴史を知る事、学ぶことにより

人間は、進化できます。

弱き者の犠牲を作らず

弱き者の為にこそ戦わなければなりません。

そう自らに誓うのでした。


その後、鳳来寺へと向かうのですが

おふうの墓を過ぎたあたりから

カラッと晴れだしまして

あの雨は、もしかしたらおふうの涙ではなかったか?

私はそう信じています。


つづく