歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第9話 安祥城での負傷

本日3回目の更新です。

昨日に引き続き

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

本日は、この旅の歩き始めて2日目の出来事です。

1989年8月26日お昼前にその日の第二目的地の「安祥城」に近づきました。


事件はここで起きましたが

まずは安祥城の説明を・・・・

今は新幹線の駅で「三河安城」という駅がありますが

その安城とは、この安祥城の事です。


安祥城は、家康の祖父清康の時まで松平家の居城でした。



父の広忠の代に織田家に奪われ

ここを奪還すべく、今川勢の配下になりながら

松平勢が織田勢と戦った場所です。

信長の実の兄が籠るこの城を松平勢は落とし

織田に人質となっていた竹千代(家康)を取り戻した戦いでは

徳川四天王の一人、本田忠勝の父も戦死しています。

でも、今はどこが安祥城かわからないくらい、小さな碑と

本丸の遺構があるにすぎません。




さて、この城に着く手前で事件は起こりました。

私は、道路マップを片手にザックを背負い歩いてまして

マップを見ながら安祥城を探していると

前から人が来たので

歩道の道路と反対側によけました所

道沿いの店の看板が立ってまして

その看板から、釘が一本頭だけ出してました。

マップを見ていたので右肩に何か痛みは感じましたが

最初はわからなく


ん?


と思っていると、見事に右肩のあたりがパックリシャツごと切れてました。



この時の傷は今でも残っていますが

前日の火傷に続き、この旅で2度目の負傷です。

安祥城についてから、ザックから薬品箱を取り出し

治療しましたが、看板から釘が出てるなんて信じられませんでした。


こちらの不注意もあったので特に文句も言わずに来ましたが

危ないですね!


さて、安祥城では記念撮影をしましたが



工事中の門で撮影です。

この写真ちょっとおかしいと思いませんか?

本当は、↓こうです。



やぐら門の足場の木にぶら下げたカメラで

同じくぶら下がっている私を写したもの・・・・・(笑)


一人旅だと、こんな方法でタイマー撮影ばかりです。

時には、タイマーが終わったと思い込み

こんな写真も↓



この頃から実は私の足には異変が起こり始めました。

さてこの続きはまたあとで


つづく!