歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第14話 厭離穢土欣求浄土の旗

本日2回目の更新です。

引き続き

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

歩き始めて3日目の事ですが

その前に


皆さんは、やっとの思いで帰宅したけれど

自分の家には借金取りが居座っていて

自分の家に入れず、玄関先で野宿するなんて経験ありますか?

普通はないでしょうが・・・・・・(笑)


台風が吹き荒れるこの日に私が訪れたのは

家康の故郷、岡崎城のはずれにある大樹寺でした。



今川義元の上洛戦の先方として、戦い勝利しながら

後方の今川義元本陣が織田信長に奇襲されたことにより

今川勢は、総崩れになり、敵中に孤立した家康達は

命からがら、故郷岡崎に戻ってきましたが

その岡崎城には今川の城代が入っており、入場できず

先祖の菩提寺である、ここ大樹寺に身を寄せました。

前途を悲観した元康(家康)は松平家の墓前で自害を試みようとしますが

その時13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われてます。


厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)


すなわち、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。

その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとの意味でした。


我々は、歴史の教科書で家康が天下を取り、江戸に幕府を立て

将軍になった事を知っていますが

当時の家康自身には、そんな事思いもよらないはず!


5歳で故郷の岡崎を出て、父の広忠が頼る今川義元に人質に出される途中

敵である尾張の織田方に捕まり、織田の人質として幼少期を過ごし

父広忠の死後、家臣団の安祥城の攻略でやっと織田の人質から解放されるや

今度は、今川の人質として駿府で生活し

その今川義元が信長に討たれたことにより

やっとの思いで、故郷に戻った状態ですから

天下を取るなど思いもしていなかったでしょう!


厭離穢土欣求浄土 という言葉は

家康にとっては、その後の己に課した理想なのです。



そして、その後の家康の旗となるのです。


この曰くある大樹寺で私は家康の様に

お参りし、「厭離穢土欣求浄土」を自らに課しました。





NHKの竜馬伝でも竜馬がやたら言ってますが

「みんなが笑顔で暮らせる国を世界を作る」

これが、厭離穢土欣求浄土なのです。

この旗を見るたび

家康はその道を遮る、重くむなしい戦が続いたとしても

夢を殺すな!夢を追うんだ!と感じていたのでしょうね!


つづく