本日4回目の更新です。
引き続き
大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。
初日に熱田神宮を出発し、家康人質時代の屋敷跡を通り
地図を見ながら、一路、大高城へと向かいました。
すでに朝から歩いて、昼過ぎでしたが
大高城跡は小さな丘の上でした。
ここ大高城は家康の初陣の場所です。
当時、今川方の大高城には、それを囲むように織田方の
鷲津砦と丸根砦があり
大高城は、織田型の包囲下にありました。
そこで、今川義元の命を受け、18歳で当時今川方の人質だった
家康(松平元康)が大高城に補給物資を搬入する事になった場所です。
その時の初陣の具足がこれです。
この具足に関しては、以前も記事にしています。→ その1 その2 その3長男の兜
大高城から街を見渡すと、すぐそこに、鷲津砦や丸根砦が見えます。
そのどちらにも足を運びましたが
特に丸根砦は家康が攻め落とした砦で感慨深く過ごしました。
桶狭間の合戦の際に、今川方の前衛部隊としてこの砦を攻め
今川義元からは、攻略しなければ大高城には入城してはいけないとまで厳命された場所です。
(感慨深いと言う割にははしゃいでます。・・・笑)
苦戦の中、家康は見事この砦を攻略し大高城に入城したわけですが
そこ頃、後方の義元本隊は、織田信長に桶狭間に敵襲を受け
義元は戦死して、織田軍の勝利となっています。
逆に家康の松平勢は、敵中に孤立し
故郷の岡崎まで危険な敵中突破を強いられるわけです。
小局に勝っても、大局で負ければ、元も子もありません
戦術的勝利で、戦略的敗退を補く事が出来ないのです。
ここでは身を以て、家康はこのことを知ったのでしょうね!
つづく