歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

ヒデ坊を忘れない!

いつかこのブログで書こうと思っていたが

なかなか機会が無く書けなかった話題です。

ある方のブログがきっかけで、本日は、人の死についてです。

重くなるかもしれませんが、最後まで読んでください。

お願いします。

私の幼稚園時代、いつも仲良しの男5人組で行動していました。

5人で、幼稚園の砂場の砂をすべて掻き出し怒られたり

やんちゃな幼稚園時代の思い出です。

しかし、年長の春ごろだったと思います。

そのうちの一人、ヒデ坊が亡くなりました。

幼稚園の帰りに交差点で信号待ちをしている際に

ダンプカーの左折時の内輪差で巻き込まれての事でした

5歳の私に突きつけられた、突然の友人の死!

あの時の感情は、文章に出来ません!

初めてのお葬式に他の友人達と参列した、悲しい思いは今も忘れられません。

小さい時からお稲荷さんなど儀式を体験し続けていた事もあり

友人が泣く中、「人前で泣くまい」しっかり参列しなくちゃと気丈に振舞っていた自分がいました。

そのせいか、この後私はチック症というものになり、精神的に不安定でした。

そして、赤痢と間違えられ隔離病棟で一人で一週間過ごすことになりました。

今考えると、5歳の子供にとって、親しい友人の死は酷でした。

精神的にも、体力的にも落ち込んでいたのですね

退院する頃には、幼稚園も夏休みに突入する前の日でした。

その後もチック症というのか

緊張すると目をやたらパチクリさせたりする事が続きました。

人の死のショックは、5歳の私にはなかなか受け止められなく

小学校に入ってからも、親しい友人がすべて他の学校に行ってしまったこともあり

不安定な日々が続きました。

そんな中、小学校1年の時のお盆だったと思います

毎年お盆にいらっしゃる池上照栄院のご住職さん(お上人さん)に

「人は死んだら、どこに行くの?」と質問した事があります。

お上人さんは

「人は死んだら、天国に行くんだよ!南無妙法蓮華経と唱えてあげれば、幸せに他の世界に行くのだよ」

と教えてもらい

翌日、小学校の裏辺りにあったヒデ坊の家に一人で行きました。

ヒデのお母さんは、突然の訪問者にびっくりしてましたが

私は、一人お線香をあげ、彼の仏前に手を合わせました。

ヒデのお母さんは、私に対して大きくなったねとか色々言ってましたが

今もはっきり覚えている言葉が

「ヒデの事いつまでも忘れないであげてね!」でした。

この時、私は子供ながらに、これまでのモヤモヤが吹っ切れた思いがしました。

確かにヒデは死んで天国に行ったけれども、ヒデは確かに私と遊んでいた友人だ

自分がしっかり生きて、ヒデが生きていた証としなければならない



ブログでこの事をいつか書いて、ヒデが生きていた事を知ってもらいたい。

少なくとも、私の中ではヒデを忘れない。

忘れない事が、生きている人間の務めだと思います。

私自身がヒデが生きてた証ですので!



歴史研究家として、最近思う事だが

事故や事件の被害者遺族の感情として加害者への「憎しみ」があるのは解る。

でも、死んだ人間は生き返らない。

「犯人を殺してやりたい」という感情が、戦争を引き起こす。

親の仇撃ちを果たしたとしても、その仇にも子があり

同様に敵討ちが再現され、戦争が続くのである。

人類が憎しみと言う感情を抑えない限り、戦争は絶えない。

憎しみを打ち消す何かを見つける事、これが大切なのかもしれない。

また、悲しみを超えた世界を享受しなければ、成長しない。

多くの人の死や歴史を勉強し続けて出た結論でした。

長文にお付き合いしていただいた方々、ありがとうございました。


最後に、

私の親友の一人ヒデ坊へ

いつか私もそちらに行きます。そちらでは5歳のあなたの方が先輩ですね!

ちゃんと君の事覚えてますよ。しばらくは、行けませんが、そちらの世界での案内は頼みますので宜しく!