歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

八木家の歴史その3

連続で八木家の歴史を書いてます。

出来れば、前の記事(何日か前)を先に読んでください。

さて、本日は私のじいさん八木勝二のお話です。



自分が今生きているのは、爺さんが戦争で戦死しなかったからなのですが、この事について書きます。


八木勝二は、静岡県清水市(今は清水区)に ひいじいさん正雄の兄、好太郎の次男として生まれました。

ひい爺さん夫婦に子どもが無く、養子縁組で跡継ぎとなり

八木正雄の経営する 八木紙店(横浜市神奈川区)に

移住して妻の文と供に歩んでいましたが、

戦争で召集される事となり、静岡の第34歩兵連隊に入営しました。

当時の第34歩兵連隊は精鋭部隊で、中国大陸に進出する事になっていましたが

連隊長が、祖父勝二の友人だったそうです。

祖父勝二には、とき子さんという妹がいました。

とき子さんは清水町小町と謳われるほどの美人だったそうです。

友人だった連隊長は、とき子さんの大ファンで

その兄である祖父さんを前線に出してはと・・・・

結局、補充兵として内地に留まる事になったそうです。

運命というか、偶然というか・・・

前線で戦死された方々には申し訳ない話かも知れませんが

「兵隊には行ったが、戦争には行かなかった」祖父のおかげで

当社マルハチは、今存在しています。


もしかしたら、祖父の妹のおかげ・・・


自分は、生まれはじめて

「美人薄命」という言葉を知ったのが

ばあちゃんが、とき子さんの話をしてくれたときの事でした。


その、とき子さんらしき人が祖父勝二と写っている写真が見つかりました。


戦争前の写真です。

その後のとき子さんの事は分かりませんが

この写真にある「八木紙店」は昭和20年の横浜大空襲で燃えて無くなりました。

そして、戦後、当社は現在の鶴見に拠点を構える事になります。


私にとって、祖父勝二は「じいさん」でもありますが

先々代の社長でも有ります。

旅行先でタバコの銀紙を使って鶴を折り

女性にあげるなど「ダンディ」な人でした。


今があるのは

過去の偶然的な運命の積み重ねですね!

それなら未来とは、現在の運命の積み重ねです

先祖が歩んできた、運命の積み重ねに成り立つ歴史に

未来の歴史を作る自分達の重さを感じます。