本日8回目の更新です。
前の記事で室町時代末期までの具足の移り変わりを書きましたが
足軽が出てきて、個人戦法から集団戦法に変わると
侍の具足は、当世具足へと移行します。
これは、↑私の尊敬する徳川家康の初陣の具足です。
それまでの、大鎧や腹巻より、体にフィットした機能的な具足です。
戦いの序盤に長槍などを持つ槍足軽の陣形戦があり
この隙が出来たところに、士分の侍たちが、持ち槍をもって切り込みをかけるのです。
その為、動きやすい物となります。
また、槍が発達すると騎馬武者はももの部分を防御しなければならなくなり
佩盾(はいだて)というももを防御する物がつきます。
また、集団戦法ですから、敵味方の区別を明確にする為
背中に受筒を付けて、敵味方の小旗などを刺します。
そして、鉄砲の伝来とともに
鉄砲の弾を貫通させない、スペイン、ポルトガルなどから渡来した
胴や兜を使った南蛮具足などの当世具足も出てきます。
こうして、当世具足は戦国時代の主流となるのです。
また、足軽の具足も
それまでのまちまちの物と違い、
お貸し具足と言って、
各大名ごとに、統一したものとして城に置き
戦時には、全軍が同じ軍曹に整えるようになってきます。
ちなみに、私もこの当世具足が好きで
長男が生まれた時に、5月の節句用として家康の初陣具足を買いました。
この具足は、当時今川の人質だった主君家康へ
家臣たちが懸命の努力で作った具足です。
安物ですが機能的で、その後の家康は好んで機能的な当世具足を使用しました。
つづく