本日6回目の更新です。
一つ前の記事で、鎌倉武士の甲冑を説明しましたが
鎌倉時代末期になるとその具足も変化が見られます。
それまで、馬に乗った一騎がけの弓矢の戦闘法が徐々に変化します。
楠木正成の様に、地方豪族が鎌倉幕府の武士ではなく
悪党と言われる武力集団として台頭してきます。
もともと、騎馬の弓戦闘にも従者は居まして
その従者たちは、腹巻(はらまき)と言う武装をしています。
これが腹巻です。
鎌倉時代の大鎧に比べ、胴の部分が巻かれているものです。
そして胴の下の草摺りも4枚から6枚と多くなり
その分、動きやすくなっています。
上の写真では両肩に大袖が付いていますが
この大袖が無いものが初期の腹巻で
下級武士や馬に乗らない従者たちがつけていました。
しかし、馬での戦闘から鎌倉末期の戦闘は篭城戦、攻城戦に移行しました。
楠木正成が活躍した千早城や赤坂城は、山城です。
この山の上の城に篭り、鎌倉幕府軍と戦いましたが
この戦いは、それまでの馬の一騎がけでの弓矢の戦いと違い
攻め上ってくる幕府軍に、石や岩を落としたり
熱湯をかけたり、はたまた煮えたぎった糞をかけるなどといった
ゲリラ戦でした。
そういった戦いには、大型で動きにくい大鎧より
動きやすい腹巻の方が有利だったわけです。
そして、
それまで、徒歩の下級武士が使っていた長刀(なぎなた)のように
振り回して切る武器ではなく
九州で菊池槍といわれる相手を刺す、槍(やり)が出来ると
ますます大鎧は衰退し、腹巻全盛期となります。
続く