本日2回目の更新です。
やっぱり無理は禁物ですね!
もう直ぐ40になろうとしていますが
今までは、多少の無理も効いて来ましたが、体力面の衰えは否めません。
だからと言って消極的になっているわけではないのですよ!
今までは、鍛えて鍛えて鍛えまくれば、多少の無理も通りましたが
そうではなくなったことを自覚し、年相応(まあ性格からして年より多少の無理はしますが)の行動にとどめなければ・・・・・
そして、多少の手抜きでもしますか(笑)
さて、本題です。
NHKの天地人を日曜日に体調の悪い中見まして
石田光成の最後を見たわけですが
歴史とは不思議なものです。
石田光成など、西軍からしたら正義はああいう形なのでしょうね!
まさに、アンチテーゼですね!
また、格好良い役者が演じると見る方も、西軍の正義を信じるでしょう
要するに正義とは、子供向けアニメや特撮に出てくる
絶対悪が存在しない限り、なかなか立証する事は難しい
それぞれの立場に同質量の正義が存在する訳です。
ちなみに、先日のNHKの天地人では
豊臣恩顧の武将としての正義が語られていましたが
徳川家康が関が原の合戦後に、天下統一し江戸に幕府を立て
豊臣家という主家を上回る権力を握った事に対して
私は、豊臣秀吉も同様の事をしています。
本能寺の変後、信長の長男信忠の子供(信長の直系の孫)の三法師を擁立し
織田家の残党を統一して、天下統一を果たしています。
それこそ、関が原の合戦の前哨戦である「岐阜城の攻防」では
その三法師である「織田秀信」が西軍として、東軍の池田、福島、浅野勢と交戦しているが
岐阜城は落城し、秀信自身は東軍に降伏している。
そして、この秀信は高野山に蟄居となるが、祖父信長の高野山攻めが仇になり
入山拒否までされて、最後は追放になってしまっている。
この点では、世間は「豊臣秀頼」に対する判官びいきがあるが
実力のない主君では、世は治まらないと万民が考えたとしても
文句は言えないのではないだろうか?
歴史とは、片方から見るともう片方から見た姿と違って見える
私は、よくコップなどを例にたとえて
これが真実だ!と言う
上から見れば 丸 だが
横から見ると、長方形である。
斜めから、シルエットだけ見れば丸みを帯びた変形長方形にも見えるが
真実は、三次元の世界のコップである。
上から水を注げば水が入るが
ひっくり返して水を注いでも、水は入らない。
かと言っても、真実を突き止めるなど歴史では到底難しい
真実は、その当事者でも把握でききるものではない。
歴史の奥深さを痛感する。
そして、私は喉の痛みを痛感した週末であった。
疲れがたまると、喉が腫れるのは
もしかしたら良い事かもしれない。
そんな風にも最近感じ出している。
そこが私のバロメーターであり
天が我に、自制を呼びかけているのかもしれない。
天の声には素直に従おうと思う。