歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

オットセイ将軍の残したもの

本日2回目の更新です。

先日、レイトショーで映画「13人の刺客」を見てきましたが

正直、スクリーンを直視出来なくなるくらい残虐なシーンが続きました。

江戸末期に将軍の弟である暴君明石藩主、松平斉韶(まつだいら なりつぐ)

を参勤交代の途中の中山道落合宿で13人の侍が刺客として暗殺する話です。

ネット上でも賛否両論様々ですが、映画としての内容はともかく

この映画はリメイク版ですが、最後に

「登場人物・団体はフィクションです。」とあるのですが

明らかに、ある歴史上のお話が元になっています。


映画では稲垣五郎扮する残忍な殿様「松平 斉韶(なりつぐ)」ですが

明石松平藩の第8代藩主 松平 斉宣(まつだいら なりこと)の事でしょう!

実際には、参勤交代で徳川御三家尾張藩領内を通過中に

3歳の幼児が明石藩の行列を横切ってしまい、本陣まで連行され

付近の村民の願いも聞き入れず、切って捨てた話があります。

この後、激怒した尾張藩により明石藩は、尾張藩領内の通行を断わられます。

この松平 斉宣(まつだいら なりこと)こそ、12代将軍の弟で

オットセイ将軍とも呼ばれる11代将軍 徳川 家斉(とくがわ いえなり)の二十六男なのです。

あっ 間違えではありませんよ!

家斉には26人の男子と27人の女子と正式に認知されている子だけでも

53人はいるのです。

彼は政治にはほとんど興味を示さず、大奥で日夜子作りに励んでいまして

性欲の塊のような方だったそうです。

そして、御落胤を含めた膨大な子息の養育費によって

幕府の財政は傾き、幕末へと向かうのです。

特に子供たちは、将軍の子と言うことで

各大名に養子として押し付けられ、家を横領されるケースが目立ちました。

明石藩も実はその口でして・・・・

実子の跡継ぎがいるにもかかわらず、無理やり押し付けられる始末でした。

そすいて、このオットセイ将軍が幼少のみぎりから

蟹や鶏を相手にして踏み潰したり殴り殺したという残虐な性癖があったと伝えられています。

徳川の世が、この23年後につぶれるのも仕方ないでしょう!

オットセイ将軍が残した物は、幕府の衰退の要因そのものだったのでしょうね!


映画の内容やらはともかくとして

そんな時代背景をしみじみと感じましたが

やはり、惨いシーンは困り物!

映画を観終わった後、呼吸を整えて

私は極力、平常心でいようと努めましたが

周りでは、だらっと立てない人や気分が悪くなっている人が

多かったようです。

役所さんの演技は良いのですが・・・・・・・