歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

犬山日記�@

先週行った愛知県犬山市の報告をします。



仕事で訪れた犬山ですが、仕事の合間の時間を有効活用して

無駄なく犬山の町を堪能しました。

まずは、犬山城

 

犬山城の大手筋ではなぜか?信長の妹、お市の方と称する女性が記念撮影に応じていました。

歴史ブームなせいか?お城のある町では、甲冑姿の人達がたくさんいます。

たぶん地域の観光協会の方々なのでしょうね!

そして、私は本丸への坂を上がっていきます。


本来はこんな城構えなのですが

今では、本丸しか残っていません。


登城の道々には石垣はありますが、門や建物は、廃藩置県の際に天守閣以外すべて破却されています。

そして、チケットを買い


本丸の門をくぐると、犬山城天守閣が見えてきました。

同時に、航空自衛隊のC-1輸送機も飛んでましたよ!

前にも書きましたが、天守閣からは各務原の空自のT-4やF−15等の訓練飛行が見えてまして、違った意味で感動でした。

そして、いよいよ天守閣に入ります。

 
天守閣の登りの階段は、ほぼ垂直です。

にわか歴女の方々などは、ミニスカートでビビっていたようでしたが

どこの城も、こんなもんですよ!

 
一階一階登るたびに、床を見ますと、床板の隙間から下の階が見えます。(笑)

そして、最上階の望楼部分に出ますと


木曽川が見えて、最高の眺望です。



そして、この城は小牧長久手の戦いの際に秀吉方に早々と占領され

小牧山に布陣した家康と退陣する羽目になります。

その小牧山


遠くに見えてます。

この間で、陣地戦が繰り広げられたわけです。

そして、この長い対陣を打破しようと、

秀吉方の池田勢、森勢が羽柴秀次を大将として迂回し
家康の本拠三河を攻めようとするのですが

これをいち早く察した家康により、秀次勢は散々に打ち負かされるのです。

犬山城のお土産屋さんで、多くの甲冑の彫り物がありましたが



この戦いに家康が来ていた、縁起の良い甲冑を買いました。


この辺りは、お土産屋さんも知らない事だったようで

私の説明にびっくりしてました。

そしてこの戦いに、徳川方で初陣したのが成瀬正成でした。

後に、尾張藩の付け家老としてこの犬山城を治めた人物です。

この成瀬正成は、確か500石で家康につかえていた時に

秀吉から5万石で自分の部下として大名にしたいと申し出られまして

家康が、こんないい話は無いぞ!と正成に話すと

家康に「私を家来から外すのであれば、ここで切腹します。」と本気でくってかかった人物です。

そんな、犬山城を後にして、城下町を歩くのですが

この続きは、また・・・・・・