歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

凍傷という名の古傷

本日5回目の更新です。

今朝の雪も午前中には上がり、昼からは青空になりました。

しかし、こういう寒い日は古傷が痛むのです。

誰しも古傷なるものは多少なりとも持っていますよね!

私も、剣道の練習中に折れた竹刀が刺さった跡やら

富士山で滑落停止訓練中にピッケルが刺さった跡やら

はたまた、家康の史跡を独りで歩いたたびの途中

地図を見ながら歩いていて、お店の看板から突き出ていた釘で切った跡など

様々な傷跡が体中に残ってますが

そう言った刺し傷、切り傷は意外と痛みません。

今朝の様に気温が低く、底冷えする時に痛むのが

凍傷の跡です。

大学4年間山登りをしていた私が凍傷になったのは

1年生の5月の事でした。

春合宿も終わり、3回目くらいの山での出来事

場所は、北アルプス槍ヶ岳の下に広がる涸沢雪渓での事です。



上高地から一日かけて横尾というところまで行きベースキャンプを張り

ここから槍ヶ岳下の涸沢小屋のカール状の雪渓まで日帰り往復をするわけですが

5月でも雪の雪渓はしっかり残っています。



一年生に雪の上の歩き方を教えたり、山の楽しさを教える為の行程でしたが

雪渓の歩き方は、急な斜面を蹴り、足場を作り登るテクニックが必用です。

それも、疲れない様に、足を後ろに振り上げ、

振り子の原理でリズミカルに登っていくのがポイントでした。

雪を蹴り上げていきますので、当然靴は防水仕様の物です。

当時、入部したばかりの新入生だった我々一年生は

各種装備を春に購入してますが

靴だけは、まだまだ先輩たちからの借り物でした。

私たちが借りていたのは、



キャラバンというゴム製のコーティングされた靴でして

雪を蹴るのには、牛皮で出来た硬い山靴に比べて



軟らかい為、足にかかる負担は並大抵ではありませんが

当時、新人の中でもずば抜けて体力があると言われた私は

雪渓を走り登る競争でも、山靴の先輩たちにも勝つほど早かったのです。


でも、本当のその理由はというと

私が借りたキャラバンには、左右の表面に大きな亀裂が開いてまして

ボンドの補修も途中で壊れ、右足つま先がパックリ開いてました。

雪の雪渓をつま先で蹴る訳ですから

右足の靴の中に雪が染み込んできて、

まさに、雪を靴下だけで蹴りこんでいる状態が延々続いているのでした。

ただ、早く登れば、その苦痛、冷たさから開放されると言う

期待感から、死に物狂いで登った記憶があります。

結局、帰り道では左足も穴が開き

両足の親指と人差し指の先が白く凍傷になりました。

凍傷と言っても壊疽するほどでは無かったのですが

今に至るまで、両足の親指と人差し指の先は以前から比べると感覚がありません。

凍傷と診断された4本の指のうち

右足の親指は特に症状がひどく

寒くなると、ここがしびれるのです。

本日もこの症状が続いてました。

電車とかでつり革とか手すりに捕まらず立っていても

足の指先が踏ん張れないのはこの為です。

来週から恒例の当社マルハチのスプリングセールが始まりますが

毎年この時に外で声だしをすると

寒く冷える日の夕方ごろには完全に感覚が無くなり

痛みを覚えるのです。


この借り物のキャラバンが完全に壊れたため

一年生では最初に山靴を購入する事になりましたが

私の山靴は、オーダーメードです。

専門店で計ってもらい作るのですが

左右の大きさが微妙に0.5ミリほど違います。

この皮の山靴を購入してからも、やっぱり凍傷は治りませんでしたが・・・・・


最後に、この記事を書こうと思って

北アルプストレッキングの写真を探していたところ

この凍傷をした一年後に二年生として後輩を連れて行った時の

写真が見つかりました。



カメラマンベストに装備をつけてますが

全く今の体形とは程遠いものです。

そして、もう一枚貴重な写真が、これ↓



下山した上高地か横尾で写した写真です。

真ん中に映っているのは、当然私ですが

私の向かって右にいるのが、当時新入生だった家内です。(笑)