歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

白瀬中尉

本日4回目の更新です。

今日は、引き続き

先週セールの為UPできなかった溜まっているネタを

UPしています。

現在我が町鶴見では、「鶴見区街づくり推進会議」で

「つるみワッくんかるた」なるものを作っています。



私も、「鶴見区街づくり推進会議」のメンバーですので

募集要項とかを考えて、広く区民から読み札を募集したところ

1030もの句が応募ありまして、鶴見にちなんだ句ばかりです。

その中で、南極観測船に関する句もありました。

鶴見区南極観測船は、深いつながりがあります。

初代の南極観測船「宗谷」ですが、

鶴見の浅野ドックにて、旧海軍の運送艦を改造したのです。



この事からか?

当初から南極観測船として竣工した二代目の「ふじ」、三代目の「しらせ」は

すべて、浅野ドックのあった日本鋼管鶴見造船所で竣工しています。

三代目の「しらせ」は先ごろ引退し

四代目の「新しらせ」が竣工しましたが



この船は残念ながら、鶴見産ではありませんが

三代目のしらせは、私が小学生の時に小学校の校舎から建造中の様子が見えてました。

アラートオレンジの目立つ船体が印象的だった事、大きなブリッジがビルのようで良く覚えてます。

まあ、私も40ですから、三代目しらせも退役になるはずです。

さて、この「しらせ」という名前の由来の白瀬中尉ですが

私は小学校の時から知ってました。

ある本で、日本人ではじめて南極にいった人です。

この方は、少年時代から北極探検を夢見ていて

子どもの頃に、学校の先生に

どうしたら北極に行けるか?と訊ねたそうです。

先生の答えは

酒、煙草、茶、湯を絶ち、そして火にあたらないというものでした。

東北の村で靴下も履かずにこの戒めを守ったそうです。

今の時代に、自分の夢の為とは言え、

そんな事できる子どもなどいるでしょうか?

その偉業もさることながら

私は、少年白瀬君に敬服です。

残念ながら、北極探検には先を越されてしまい

南極探検に赴いたのですが、アムンゼンやスコットにやはり先を越されましたが

それでも、当時の彼の船がアムンゼンやスコット達の船に比べ

小さく古い船であった事を考えれば、大業を成し遂げた事に違いはありません。

白瀬中尉は、その後

南極探検の借金で苦労するのですが

2代にわたる南極観測船の船名となったのです。

これが幸せかどうかはともかく、白瀬さんの事を書いてみました。


小学校の頃に読んだ伝記が、よみがえってきます。