歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

私がポジティブかの原点1

本日2回目の更新です。

昨日、予告の 何故私がポジティブかの原点を今日は書きます。

みんなの笑顔の為に泣かない事を誓った日々の事です。

長文になりそうなので、何回かに分けての更新となります。

最後までお付き合いください。


それは、幼稚園年長の頃までさかのぼります。

前にも書いた ヒデ坊を忘れない とういう記事覚えてらっしゃいますか?

親友の突然の交通事故死は、5歳の私に精神的に負担を与えました。

その他にも5歳の私には精神的に来る出来事が続きました。


この当時隣の家に爺さん、ばあさん、ひいばあちゃんの3人が住んでいましたが

ひいおばあちゃんは、私が小さい頃やはり交通事故で片足がありませんでした。

そんな中、祖父祖母は文具業界の旅行で海外に行ってしまい。

今の私には良く理解が出来ますが

当時は、ひいおばあちゃんを置いて旅行行くなんて・・・・とも思いましたが

業界の重鎮であった祖父としては行かなければならない仕事でした。

その間、ひいおばあちゃんの家には私と父親が泊まる事になりました。

まあ、歩いて10メートルくらいでしたから直ぐの距離では合ったのですが

父親も業界だ商店街の会合だとかで、毎晩遅い為

結局、私と片足のないひいおばあちゃんの二人で夜過ごす事が多かったのです。

その頃、ひいおばあちゃんは、体調を崩していたらしく

夜な夜な「痛い!痛い!」と苦しむ事がありました。

「ひいおばあちゃん待っててね。今お母さん呼んで来るから」と

私は、隣にある自分の家まで行き、

背伸びしてやっと手が届く玄関のブザーを鳴らす日々でした。


そんなこんなで、体がまいっていたのでしょう。

かぼちゃのてんぷらをたくさん食べた翌日の事です。

便に血が混じってまして、母親に連れられ小児科に行きました。

そこでの診療の結果

赤痢(せきり)と判断され救急車に乗り入院する羽目に!

実際は、赤痢ではなかったので1週間程度で退院するのですが

続きでこのお話しを詳しくいたします。


続く・・・・・・・・・・・・・・・・・