歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

小沢治三郎

本日5回目の更新です。


引き続き、今月24日〜26日の祭礼の準備状況を書いてます

私は中町会の神輿の件を中心に動いてますが

せっかく綿密な計画を立てても、当日の変更やらはつき物です。

また、状況が刻々と変化しますので、この変化に柔軟に対応できなければなりません。


こういった苦境に思い出すのが、私が尊敬する小沢治三郎さんです。

このブログの最初の方に、尊敬する7人を書きましたが

小沢治三郎さんて皆さん知らないでしょう?

日本の空母機動部隊の生みの親で

日本海軍最後の連合艦隊司令長官です。

有名な山本五十六の5つ下の学年で、勉強熱心な提督です。

「三度の飯より、戦術研究」というほど、

この方は、先輩の山本五十六などとアメリカとの戦争には反対でした。

広く世界を見てましたので、日本とアメリカでは国力の違いをはっきり認識してましたから

それでも、戦争が避けられないとなると

いままで、各艦隊に分散配置されていた航空母艦を集中的に運用する機動部隊を作る事を提唱し

当時発展の著しかった航空機による集中攻撃を発案して、

第一航空戦隊司令官として後の、連合艦隊の主力となった機動部隊を育て上げたのです。

しかし、開戦時は、その機動部隊は、先輩の南雲中将の指揮となり

真珠湾攻撃での成功後の、ミッドウェー海戦の敗北、そして南太平洋沖開戦までは

機動部隊は先輩南雲中将の指揮下でした。

この一連の作戦で、消耗しきった機動部隊を小沢中将は引き継ぐ事になったのです。

ボロボロになった機動部隊再建は大変な苦労でしたが

せっかく、再建していると、次から次へと他の作戦にその兵力を持って行かれる

という事を繰り返しており、苦難の状況が続きました。


この状況は、今の私と同じです。

せっかく祭りの人員配置や、スケジュール、備品の手配などすべてにおいての

万全な体制つくりをしても、次から次へと無理難題が持ち込まれる。

しかし、この小沢中将はめげずに、その時その時に

出来る最大限の努力を図りました。

苦難の状況下でも、めげないで最後まで勤め上げる

この姿勢は、見習うものがあります。

ちなみに、小沢さんを語ると語りきれないのですが

またの機会にします。