歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

キャプテン

本日6回目の更新です。

サングラスのお話しでもあります。



大学時代山登りのクラブ「明大ウォーキング部」に所属していた私です

今日は、3年生の夏合宿の思い出を語ります。

夏合宿といえば、最も長い山行が毎回の定番で、3年の執行部としては最大の見せ場です。

私は、執行部で幹事長兼事業部長という極めて珍しい職でした。

団体の代表と、実戦部隊の統括は本来は別の人間で行うのですが・・・・・・

さて、この3年生の夏合宿は北アルプスを5パーティーが別々のルートを縦走し

終結地点で合流する8日間の行程でしたが

私のパーティーは最も長いコースで、ただ1人の4年生(前事業部長)

とリーダーの3年の私、そして次期事業部長となるの2年生のサブリーダーとちょっと体力の無い1年生1人の

4人パーティーでした。

このパーティーは4年から2年まで体力のある最強チームで、

1年生を育てる目的で構成されましたが

体力の有り余る連中のなかに、入れられた1年生の事を皆が心配しました。

1年生を気遣いながらの山行でしたが、最強チームに異変が起きたのは

3日目の午前の事でした。

稜線上で2年のサブリーダーが足をひねり、歩けなくなったのです。

しばらく、様子を見ましたがとても、長期の歩きは無理の様子でした。

リーダーの私は、

「よし!下山しよう!これは決定事項!」と言い放ち

全パーティーのチーフリーダーを務めていたこともあり

各パーティーに下山する旨を無線連絡しました。

4年の先輩は、露骨にお願いだから行こうよといった顔をしてましたが

それを無視するように!「下山します。」とエスケープルートをたどり

一路下山しました。

途中、悪路に阻まれ、けが人を連れての下山は、苦難の道のりでしたが

松本の病院で早めの処置をしたおかげで、2年生は2ヶ月の治療で済みました。

この後、チーフリーダーとして、残りの各パーティーが集結するベースキャンプへ我々は移動したのですが

最強チームとの下馬評を受けている連中としては、肩を落としているのも分かりました。

各パーティーが集結する日、メンバーの落ち込みを察した私は、

これから来る部員の中に、その日に誕生日を迎える人間が2人いる事を話し

皆で、バースディケーキを作って出迎えてやらないか?と提案しました。

これなら、足を怪我して動けない2年生も活躍できます。

ベースキャンプの自動販売機でパックの牛乳を購入し

非常用のビスケットを粉々にして牛乳で溶かし、それをコッヘルに入れて焼きなおし

お楽しみ用のフルーツ缶詰やらチョコやらを乗っけて、にわか作りのケーキでしたが

落ち込む奴らに、仕事を与える事で自信を付けさせる事は成功でした。

くすぶることなく、他のパーティーを迎え入れ、集結のキャンプファイヤー

このケーキを出した時は、別人の様に自慢げなメンバーがいました。


チーフリーダーとしても、クラブ全体の士気を保つ事が出来ましたが

東京に帰ってからの打ち上げパーティー

ビール瓶を一気飲みした私は、常に黒の濃い色のサングラスをかけてました。

部下達に涙目は見せられなかったのです。

「勇気ある撤退」は必要なんだぞ!と皆に説いていた私でしたが

本当は、その決断をした私自身が一番悔しい思いをしていたのかもしれません。

でも、勇気ある撤退に後悔はしてません。

至極妥当な判断でしたし、この教訓を下級生は受け継いでくれました。

2年のサブリーダーは、次の年の事業部長として、実戦部隊の統括をしましたし

体力の無かった1年生も、スパルタの結果2年後の事業部長として君臨したのです。

何を一番に考えるのか?全体の事を如何に考えるべきなのか?

そういったことを教えられる良き機会でした。

今も、頑張る若手を見ると、つい昔の思いでがよみがえります。