歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

八木家の歴史その1

自分がなぜ、今生きているのか?

ルーツではないが、八木家の歴史がある。

我が八木家の出は、静岡県清水市(今は清水区

私の ひいおじいちゃんが次男であった為

大正2年に横浜にて八木紙店を営み始めた。

当社マルハチの歴史は、ここから始まる。


しかしながら、本日は、

マルハチの歴史ではなく

八木家の歴史を解説しようと思う。

清水の本家の家系図から私が書き写してきた物の中では、

私のひいひいおじいちゃんの甚四郎さんが

名前がわかる人では一番古いのだが

静岡県の清水には、石を投げれば八木に当たるのではと思うほど、

八木という苗字が多い。

でも、昔から近くに八木氏がいたわけではないようなので

調べてみた。



八木という地名は、京都と奈良にある。

京都府のほぼ中央に「昔は八木町」が存在した。

これは、古墳時代からの街らしい。

また、奈良の八木も古墳の近くにある。

この頃から八木氏は、存在してのだ!


南北朝時代に京都と隣接する但馬の国(今の兵庫県北部)に

八木城という城が作られ、この頃八木氏がこの地区で勢力を伸ばしたらしい。

戦国時代、織田氏の中国攻めの一環で、羽柴秀吉旗下の別所氏に城は落とされたが、八木氏はこの旗下にいたらしいが、関が原の戦いの後、別所氏が西軍に組し移封処分の後に徳川氏につかえているらしい。

この末裔が、徳川家直轄領であった頃の駿河(今の静岡県東部)に土着したのが、我が祖先ではないか?

ちなみに、幕末の頃、ひいひいおじいちゃんの甚四郎さんは船乗りであったが!

甚四郎さんからのお話は、明日に!