歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

八木家の歴史その2

なぜ、ヤプログの登録カテゴリには 歴史 という分類がないんだ!

と少し怒りながらも、昨日の続き 八木家の歴史第二弾です。

我がひいひいおじいちゃんのお話です。

ひいひいじいちゃんの甚四郎さんは、幕末の頃、少年時代を駿河(今の静岡市)で過ごしました。

父親を早く亡くし、母親と姉だか?妹だったかの母子家庭でした。

しかし、それも安政の大地震による津波で母兄弟を亡くし

天涯孤独の身となったそうです。

青年時代は荒くれやんちゃで、船乗りとして航海中に舟が難破し

千葉県、房総半島に流れ着き、一命を取り留めたと家系図には記載されています。

その後、改心し、舟の造船業などを経て、初代の清水町の町長となったそうです。

幕末の清水というと「清水の次郎長」が有名ですが、どうも次郎長とも付き合いがあったらしく

本家には、甚四郎葬儀の際の「次郎長からの香典」があったそうです。



その後、甚四郎は土屋家から妻つねを嫁にとり

長男好太郎、次男正雄と、長女さえの三人の子どもを授かりました。

次男の正雄が私のひいおじいちゃんに当たります。

正雄は次男の為、八木分家として岡部家から娶った妻「はま」と一緒に

大正2年1月に横浜市神奈川区に八木紙店を設立しました。

これが、当社マルハチの創業です。



大正2年創業の八木紙店の様子)


(ひいじいちゃん正雄とひいばあちゃんはま)





ここからが、ややこしいんです。

正雄とはまの間に子どもが生まれず

正雄の兄好太郎の次男である「勝二」と

はまの兄の娘の「文」の2人を養子縁組とし

跡を継がせる事になります。

これが、私のおじいちゃんと、おばあちゃんに当たります。



さて私は、ひいおじいちゃんの顔を知りませんが

ひいばあちゃんの はま は私が中学の頃まで存命だったので

はっきり覚えています。

この、 はま さんが超やり手の商売人だったことは

地元の御年寄り達からよく聞かされている話です。

戦後の混乱期に、今の鶴見に店を移してからも

闇市で物を仕入れてきて、高く売る。

「八木じゃなくてヤミだ!」などと陰口をたたかれた事も

有ったそうですが、

当時子どもだった方からは、

「はまおばあちゃんにはずいぶん御世話になった。

子どもの我々には出世払いで良いよ!とか格安で

文房具を譲ってもらった。」とか聞きます。

その売り方は、とるところはとるが、人情は大事にする。

損しても徳をとれとの教えであったと思います。

(あえて得でなく徳としました)

なぜなら、当社御取引先の社長達の中に当時のはまさんの

恩で今も取引が続いている会社があるからです。

八木はまさんのお話は、まだまだ尽きませんが

これは、後日のお楽しみにさせていただきます。

明日は、おじいちゃん勝二のお話です。