信長、秀吉、家康の三将の甲冑にはそれぞれ
特徴がある。
信長の甲冑は、大鎧(伝統的な)など、高価で
立派なものや、
当時珍しい、ヨーロッパの甲冑を使った南蛮具足など
奇抜なものもある。
しいて言えば、高価な物で使用に耐える物
と言える。
秀吉の現存する甲冑は、熊の毛皮の具足や
金の後光が差したような物、貴族風の物など
高価で威光があるが、実戦には
絶えうる物ではない。
家康の具足と言うと、実戦向き一辺倒の具足ばかり
せいぜい金溜め塗りの物ぐらいが高価そうに見えるが
具足としては比較的安価な物で、実戦本位の具足
である。
戦国の世を生き抜く為、戦において甲冑をまとう訳だが
それぞれに、甲冑に対する思うところも違っている
と、私ながらに思う。
調略や力攻めを得意とした秀吉にとって
甲冑とは、威厳を見せて相手を萎縮させる道具
だったのかもしれないし、
家康にとっての甲冑は、正に最前線での戦う為の
道具、生き抜く為の道具だったのかもしれない。
我が尊敬する家康の初陣の甲冑と言われる
「大高城兵糧入れ具足」がこれ↓だ
金色に塗ってあるが、下級武士が使う安物である。
ただし実戦向きの具足だ!(当世具足と言います)
当時の松平家(徳川家になる前)は今川家の客将であり
実質的には、独立などまた夢の夢!
今川家の家臣と言ってもよい状態であった。
党首広忠(家康の父)亡き後、今川義元に対して
その子家康自信が人質となっており、
松平家に経済的ゆとりなど無く、
せめて、新しい党首の初陣にと間に合わせ的に
安価だが、実戦的な物を用意したに過ぎないと
思われる。
しかし、この時の生活から家康自信生涯
質素倹約を行い。より実践的な甲冑を好んでいたのでは
無いだろうか?
不況で苦しい現代の日本の経営においても
この家康の実務本意の考え方は見習うべき
物があるのではないだろうか