歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

渦中に入らず

本日2回目の更新です。

先日の8月25日でこのブログも丸2周年になりました。

ここ数日は、私の社長論について特集で書きたいと思います。

今まで生きてきた中で、今の私に影響を与えた事や言葉

現在の私を理解してもらうのに

これらの心に残った言葉やシュチュエーションを中心に書きたいと思います。


私の大好きな「徳川家康」は街道一の弓取りと言われ

多くの戦いに勝利しています。

特に野戦では無類の強さを誇ってますし、家康自身も鍛錬を欠かさず

直接の戦闘もこなすことが出来ます。

そんな、家康も唯一の負け戦が「三方が原の戦い」です。

元亀三年の、この戦いでは武田信玄率いる27000の大軍に

半分以下のわずか11000の手勢で対抗しましたが

家康の実兵力は8000人で、残り3000人は信長からの援軍でした。

家康は徳川勢の戦いの殆どに自身出陣していますが

戦闘指揮が殆どで、自身で槍を振るったのはこの戦いのみです。

しかし、武田軍に対し兵力・戦術面ともに劣る徳川軍に勝ち目はなく、

わずか2時間の戦闘で甚大な被害を受けた徳川軍は敗走します。

中学のときに見た

大河ドラマ徳川家康」の三方が原の戦いのシーンで印象に残っているのは

戦いの最中、家康が自ら本陣を戦線に参加させようとすると

徳川四天王の一人、酒井忠次

「殿にあっては、戦いの渦中に入ってはなりません」と走りよりますが

織田からの援軍が崩れたとの報告を聞くと

家康は自身、戦線参加をします。

しかし、これを見た武田軍は、ここぞと攻勢をかけます。

この戦いで命からがら浜松城に逃げ帰った家康は

その負け戦を忘れない為にも、絵師にその姿を書かせます。



家康自身、実戦参加する能力は十分ありますが

総指揮官が渦の中に入ってしまうと、全体が見渡せなくなります。

この教訓は、私の社長論には大きな影響を与えています。


実際、私は昔、自分で言うのもなんですが、

バリバリの営業マンでしたから、最前線での営業活動は大好きですし

穴が出来た部署を担当し大きく実績を伸ばしたこともあります。

しかし、その弊害もありました。

会社全体が見えなくなったり、

部下が私の成績をあてにしてしまうのです。

これでは、自分ひとりで会社をする方が良いことになりますし

人は育ちません。

人を育てて、多くの部下に自身の代わりに稼いでもらい

その体制全体を見渡し、不足する部分のみを補ったりするのが

私の社長の姿勢だと思っています。

ましてや、当社は店頭小売、外商営業、通信販売と3つの業態がありますし

接客をする販売員や営業マンのほかにも、内勤の仕入れや伝票管理、入金管理といった仕事もありますし

私しか出来ない、人事や労務経理といった経営全般に関する裏方もあります。

それ故、渦中に入らないようにしています。


社内では、社長が最前線に出ればもっと会社の売り上げが挙がるのに・・・・・

という意見もありましたが

それは、私でなくても出来る話です。

私はその部分においては、他の人間に任せることが出来ますが

私しか出来ない事はやってますよ!

それをするのが、社長というもの

今週記事で 何人工(にんく)になる?
や 具足の話を書きましたが

私はいつでも最前線で営業をする体制は出来てますが

私が最前線に赴く時は

士気を上げ、戦況を正確に把握する時と

私しか出来ないトップ営業をする時

それ以外で、最前線に出なければならない時があるとするなら

部下たちが不甲斐なく、会社が末期症状になったときでしょう!

だから、私が担当を持ち最前線に立ってはいけないのです。


しかし、全体の把握をする為にも

家康が常に当世具足という実線向きの甲冑を身にまとい

殆どの戦線に指揮官として出陣したように

常に自分自身を鍛え、知識を保ち、すべての仕事をこなせるだけの能力(それも最高の仕事が出来ることが条件)を兼ね備えながらも、全体の指揮に徹する!”

これが、私の社長のあり方と思っています。