歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

誰の為に・・・・

本日の更新はある写真を見た事がきっかけで書きます。

歴史研究家としての私の血が、長文を欠かせますがお付き合いを・・・・・・・


本日は「アンチテーゼ」についてです。


私のyapmeさんで ひろさんという方がいらっしゃいます。

この方のブログにあった一枚の写真から、ふつふつと沸いてきた思いです。

ひろさんのブログは喋喋がひらひらと踊る風情のあるブログです。

この中にあった成田空港近くのさくらの丘展望台の写真です。




この写真は、6年ぐらい前に、木村拓哉柴咲コウが主演していた『GOOD LUCK!!』というドラマでの

舞台となった公園だそうです。飛行機が真近に見える、のどかな公園です。

私が注目したのは「三里塚」という地名でした。

1966年に羽田空港では、その後の航空機時代に乗り遅れるとして

今の成田市三里塚周辺に政府は、空港を作る事を決定しました。

当初、空港予定地の4割程度しか国の土地ではなかったのですが

政府は地元から合意を得るどころか事前説明すら怠り、

代替の土地などの準備も出来てなかったので

地元住民、農民の猛反対を受けました。

そして激化する空港建設反対運動に対し政府は、

国際的に航空化に対応する為、機動隊を派遣して

土地の行政代執行を行ないました。

行政代執行とは、「公共の福祉」の為

土地を無理やりにも押さえ、住民を退去させる事です。

この闘争が数年も続きました。

空港反対派に、当時の過激な思想を持つ方々が加わる事により

事態は、武力闘争となってしまいます。

その舞台がこの「三里塚」なのです。

最初は農民の無抵抗の抵抗だったはずなのですが、

いつの間にか、過激思想やらの介入があり

鉄パイプや火炎瓶を持ち、マスクにヘルメットといった反対派と

警視庁などの機動隊とがぶつかり合っていたのです。

特に、1971年(昭和46年)9月16日には

後方警備の為、応援派遣された

神奈川県警察特別機動隊第2大隊240名に対し

700人以上の空港建設反対派が暴行を加え

死者3人重軽傷者80人以上という犠牲が出ました。

そういう場所なのです。



家族連れがのどかに飛行機を見ている、この場所で

そういった闘争があったのです。


私は偶然にも、この闘争の両サイドの人間を知っています。

1人は、大学時代に知り合った私よりも年上の方です。

その方は、ここ三里塚出身で「自分の住んでいる村がなくなる」

といって子どもながらに、空港建設反対運動を行い

その時は、過激派になっていました。(私は違いますよ)

私は、特に親しかった訳ではありませんが

どうしてその様な運動に身を投じているのか?不思議だったのですが

もし?あなたの今住んでいる一帯を、国民皆が使う空港にするから出て行ってくれ

と言われたららどうでしょうか?

大学当時、運動に共感はしないまでも、ある程度理解はしました。


また、3人の同僚警官を殺された神奈川の機動隊にいた方とも

知り合いです。

この方の話を聞くと、当日、無線機から飛び込む

同僚たちの切迫した救援要請の無線が

今もずっと忘れられないと言って悔やんでました。

救援に行きたくても、自分たちも他の場所で警備をしている最中で

何もしてあげられなかったそうです。


「アンチテーゼ」とは

全く相反する同質量の価値観があるということです。


方や自分たちの村を守る為に戦う空港反対派と

方や仕事として、空港を作る為派遣された機動隊員


この両者は、どちらも傷ついています。

結局、空港建設の為、土地を奪われてしまった空港反対派

警備中に殺されたり、大怪我を負わされてしまった機動隊側

どちらに参加した人たちにも、皆、精神的な傷は残ったはずです。


そして、成田に国際空港が出来て恩恵を得たのは

いったい誰だったのでしょうか?

他ならぬ、我々日本国民全体ですよね!

航空機の発着場がなければ、日本は、これほど

国際化は出来なかったのです。

その事を我々日本人は、忘れてはいけないのではないでしょうか?

誰の為に・・・・・・  日本の国民? 日本という国?

悲劇や、臭い物にはふたをする。忘れる。

こういう事は歴史研究家としては、出来ません。

また、このヤプログを見ている方の大多数は、この様な事件があった事は知らないはずです。

どっちの主張が良くて、どっちの主張が悪いと言うつもりなど有りません。

世の中には、アンチテーゼと言うものが存在しますから。

ただ、この事件の原因は、

急速な国際化に焦り、代替地などの準備もせずに

空港を作る事を決定してしまった、当時の政府にあります。

政府を批判するつもりも有りませんが、

この経験を良く踏まえて、自分たちが行動すれば良いのです。

歴史研究家の使命とは、こういった事を知ってもらう事です。



でも、私は、今回の写真の中に飛行機を見ながら

楽しそうに遊ぶ親子やらの写真を見て

三里塚が今は、平和で穏やかになった様に思え

心が和らぎます。


皆さん歴史を勉強して、同じ過ちをしない様にし

良い社会を作っていきましょう!



最後に、写真をご提供していただいた ひろさんに

大変感謝しております。

長文を最後まで読んでいただいた方にもお礼申し上げます。