歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

息子と

先日私の長男の誕生日でして

誕生日プレゼントを渡しました。



ずらりと、艦船の1/700のプラモデルです。

実は、これらは私が作ろうと以前買っていたもので

作りかけとか、もう作らないだろうという代物で

結構古いものでした。(だから新たにお金がかかりませんでした。笑)

同じ趣味を持つと、こんなに便利なのですね!

でも、この時先日ブログで書いた「松平又八郎家忠」の事を思い出しました。



徳川家康の家臣で松平又八郎家忠は、17年も日記を書いてますが

その中で、長篠の合戦の話があります。

当時21歳の家忠は、父の伊忠(これただ)と共に、この合戦に参加しますが

鉄砲で有名な長篠の主戦場ではなく、武田軍の主力の後方にある鳶巣山攻撃軍に父と加わります。

そして、鳶巣山攻撃軍は敵将・武田信実(信玄の弟)を討ち取るという功績を挙げます。

武田勢は総崩れになり、長篠城を包囲していた武田勢も逃げ出し

長篠城内からも奥平貞昌たちが躍り出て、一緒に追撃戦を行うことになります。

この追撃戦のさなか、父の松平伊忠は、

深溝松平家の手勢の半分を割いて子の家忠に預けました。

そして、行動を共にしようという家忠をしかり

「お前がここで死ねば、父子共に命を落として

家を断ち孝にはならない。

命を全うして主家に忠を尽くせ」

と言い残して敵に突入していきました。


しかし退却する武田軍の小山田昌行から猛反撃を受けてしまい、伊忠は享年39才で戦死していました。


長篠の戦で、徳川勢の武将の中で唯一の戦死者でした。


実は伊忠自身も、父とは同様に戦の中で別行動をし死別してますし

子の家忠も、関ヶ原の合戦の折

親子別れて戦い、伏見城にて戦死していますが

その子忠利は上杉の押さえと言う役割をしっかり果たして出世しています。


代々の性分なのでしょうね!


果たして、私たち親子も、そういった状況に立った場合

しっかり家をつなぐことができるでしょうか?


同じ文具業界の仲間に

親である会長と、息子である社長は、絶対に同じ飛行機には乗らない

という親子がいます。

どちらかが万が一、事故死しても、会社は安泰であるという理由だそうです。


まだ小学生の息子が

「お父さんと一種に行動したい・・・・」

などとよく言いますが、まだ仕方ないのでしょうが

いずれかは、そういう親子別行動の時期が来るのでしょうね!


今日の親子でのプラモデル作りを

今のうちに満喫しておきます。