歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

姉川の合戦

本日3回目の更新です。

本日は、当社決算日ですが、仕事がひと段落し

夜の仕事に備え待機状態ですので

久しぶりに歴史のお話を・・・・・・・

2日前の6月28日は織田徳川連合軍が、浅井、朝倉連合軍を近江の姉川で破った戦い

いわゆる姉川の合戦の日でした。



この時の合戦の主役は織田信長でその応援に三河から徳川勢が加勢した戦いでした。

織田軍の主力2万以上は左翼に13段の陣容をひき浅井勢と対峙します。

これに対し、我が徳川勢8000は左翼に布陣し、浅井勢よりも多い朝倉勢と対峙しました。

合戦が始まると、織田勢は少数の浅井勢に攻めまくられ

13段の構えのうち11段まで崩される様子!

これを救ったのが、徳川勢です。

圧倒的多数の朝倉勢を押さえ、川下の左翼のそのまた左翼方面から

旗本榊原康政の隊が迂回し朝倉勢の右側面を急襲し

横槍を入れます。

これにより朝倉勢は全面的に敗走し

補給線の延びきった浅井勢も同調し、後退を余儀なくされたのです。

この合戦は、三河武士の勇猛さを天下に示した戦いではありましたが

徳川勢は、この遠征部隊8000に各家の精鋭を選りすぐって出陣をし

野戦での戦術のうまさを見せ付けたのでした。

歴史上で、特に教科書では織田徳川連合軍の勝利と

信長の勝ち戦と認識されがちですが

実は、徳川家康の実力が際立った戦いだったのです。

戦いは、戦力の多いほうが有利なのが常識ですが

やり方しだいで、戦いようはあります。

そして、この遠征にあえて精兵を出した家康の戦略もまた

評価されることです。

孫子の言葉にもありますが

「戦うべき時と戦うべきでない時とを知る者は勝つ」

とありますが

本日の当社決算60期までは

世の中の情勢をかんがみれば、戦うべき時でないと思っていました

しかし、明日からの61期は

戦うべき時、!

より積極的に戦わなければならない時だと思います。

頑張ります。