本日2回目の更新です。
久しぶりに歴史研究家になって記事を書きましょう!
先日大河ドラマ「江姫」を見ていて
小牧長久手の戦いがあっという間に終わったのが、私にとっては、いまいちでした。
家康ファンとしては、小牧長久手の戦いは、後の家康の天下取りに重要なファクターとなる戦いなのです。
ある意味では、関ヶ原の戦いよりも重要です。
秀吉の大軍を前に、随所で展開する野戦にことごとく勝利するのですから
ドラマ「SP」で、戦争をした事の無い軍人さんと称していた北村有起哉さんの演じる羽柴秀次の戦いは
あっという間でしたが
その中身をやってほしかったです。
この小牧長久手の戦いでは
家康の戦上手が、敵方である羽柴軍諸将に知れ渡ります。
それまで、姉川、金ケ崎、長篠の戦いなど、織田群の協力者として家康の戦術家としての腕前を見せつけられていた武将たちは
今度は、羽柴軍の敵として家康に当たらなければならず
この戦いで、多くの武将が敗走させられました。
池田恒興、森長可は戦死、羽柴秀次配下の田中吉政なども痛い目に合っています。
家康は、後の豊臣の大名たちに、強烈なる強さを、この戦いでは植え付けており
その後の豊臣政権下で、その人格や人柄を見せつけ
関ヶ原の合戦時には、多くの大名が家康方についています。
先にあげた、武将やその子孫は皆、家康の東軍についている事からも
この、小牧長久手の重要性が解ります。
ちなみに、親の池田恒興や兄をこの戦いで失った池田輝政は
文禄3年(1594年)、秀吉の仲介によって、徳川家康の娘・督姫を娶っています。
その際に、家康の屋敷で、小牧長久手で父の恒興の首を獲った永井直勝に会い
父の最後を語らせますが、その後烈火のごとくに怒り始めたそうです。
それは、永井直勝に対してではなく
自分の父を討った永井直勝がわずか5000石しか貰っていないという事に
「父の首はわずか5000石か」と怒ったそうです。
その後、永井直勝は7万数千石の大名になれたのはこの事件があったからかもしれません。
ともかく、小牧長久手の戦いは
後の家康の天下取りには大きなファクターとなるのです。