以前我が八木家の歴史をシリーズで書いたが
本日は、番外編
母の父つまり八木姓でない祖父のお話です。!
今年の7月に、その祖父は、亡くなり95歳の生涯を閉じた。
この祖父がいなければ、私の母もいなかったろうし、自分も存在しない。
祖父は、中学しか出ていない。でっち奉公をしながら学校へ行った人である。
しかし、自分でふすま紙の商売を始めた。
この人を一言で言えば「堅実にコツコツ成長する人」と言える。
私は、2番目の孫であった為か、このおじいちゃんの事はよく覚えている。
すごく頭の切れる人で口数は、少ないが物事をよく考えている人との印象がある。
その為か、リスク回避の術は、すばらしいものがある。
母が年少時代「○○買ってくれる?」とせがむと
「手形が落ちてからね!」と言うらしい。
そう聞くと、今は買ってもらえないんだなと理解したらしい。
事業を第一に考える姿勢もさることながら
この方達の時代には、戦争という大きな事件がある。
おじいちゃんは、戦争に行く前に、自動車の免許を取ったらしい。
といっても、事業で車を所有していたわけでもない。
「どうせ戦争に行くなら、当時普及率の少ない運転免許を持っていれば優遇されるだろう!」との判断である。
実際、海軍に徴兵され中国大陸に渡ったが、運転手は少ない為、前線には、送られなかったそうだ!
港で、輸送船から2本の木の板を岸壁に渡し、その2本の道上をトラックで走ったりしていたそうだ!
また、これら作業の中でも、特に優秀な者は、高級将校の専門運転手になれたらしい。
それゆえ、おじいちゃんは、運転技術に特に熱心で、晴れて高級将校付きとなったらしい。
こうなると、優遇されるらいい。
こうして、戦争中は、大陸に渡っていたにもかかわらず、シベリア抑留後、内地への帰還を果たした。
我が人生の先輩であるこの人のリスク管理能力は、私にとって重要な要素として肝に銘じている次第なのです。