歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

生麦事件へ

本日4回目の更新です。

本日は、どうしてもかねてから引っかかっていた事を解消に生麦まで行きました。

その先は、

生麦にある、生麦事件参考館への訪問です。

以前から、ここの館長の浅海さんが当社のお店に何度か足を運んでいただいていながら

どうしてか?その時はいつも不在でご挨拶もできないでいまして



先日の横浜商工会議所鶴見支部の講習会、忘年会で

ちょうど浅海さんが講師でして

その懇親会で、今までの不敬をお詫びし、

また、歴史好きの私としては、色々と歴史の話などしたいと思っていたのですが

次から次へと、他の方とお話などしていて、浅海さんのところに、たどり着いたころには

浅海さんは、帰られた後でした。

そんな事を、事務局に話したところ、わざわざ連絡をして繋ぎを入れておいてもらったので

やっと、本日の空いた時間を利用してご挨拶がてら

お話をしてきました。


浅海さんの語る、「生麦事件」のお話に出てくる、多くの登場人物が

幕末の他の事件等にも関連がすべてあるのが面白い所

最初にイギリス人リチャードソンに切りつけた奈良原喜左衛門の弟は

寺田屋で同じ薩摩藩士の「精忠組」の仲間を切った奈良原繁ですし

リチャードソンが「もはや助からないであろう」と介錯のつもりで止めをさした海江田信義の弟は

桜田門外の変の時、水戸藩浪士と共に井伊直弼を襲い、首を取った有村次左衛門ですし



この生麦事件の後、薩摩とイギリスの間で起こった「薩英戦争」で

のちの連合艦隊司令長官東郷平八郎もイギリスと戦っています。

この薩英戦争では、イギリスのアームストロング社製の大砲(炸裂榴弾の速射砲)が実戦で初めて使用されて

かなりの不発だったもので、イギリス政府は海外への販売制限を解除したのです。

この為、改良されたこのアームストロング社製速射砲を搭載した、日本の連合艦隊

日清、日露の各海戦において、子の速射砲の威力を有効に使用し

勝利しています。

東郷平八郎と、アームストロング砲の初陣が一緒だったなんて・・・・

本当に、歴史は不思議です。


そして、浅海さんのお話を伺った後、生麦事件碑へ歩いていきました。



すると、旧東海道沿いの公園のところで、見慣れた石碑を発見!!

あれ?何でここに・・・・・・・・・



実は現在生麦事件碑の場所が、首都高速の横浜環状北線の工事に伴い

つい昨日から仮移設となっていたのです。

そして本来あった所は



キリンビールの工場の前なのですが、取り壊されるそうです。

ここが、リチャードソンが海江田信義にとどめを刺された場所なのですが・・・・

幕末は、切った、切られたと物騒な事が多いですが

それらも歴史ですから、それを知る事は、この後の社会に何か役立つことでしょう!

ましてや、地元鶴見で起こった事件ですから・・・・・・・・


皆さんも、地元の歴史など学んでみたらどうでしょうか?


最後に、茶化すわけではありませんが

生麦事件」とキーボードで入力していると

早打ちでついつい、打ち間違えてしまい

何度か

「生脱ぎ事件」となってしまいますのでご注意を!!(笑)