本日2回目の更新です。
休日に仕事をすると本当にはかどります。
普段の倍以上の速さじゃないかな?
1階の店舗は営業していますが
世間様がお休みの分、2階の営業部への電話はほとんど無し
(と言っても、1階の店舗で取ってくれているのですが・・・)
また、普段の様に携帯にバシバシ用件が入ってくる事もなし
(本当は、携帯が壊れていた為、修理中で取れなかっただけ・・・・・)
などといろいろ要因はありますが、はかどりました。
(正確には はかどってますの進行形⇒まだ終わってない)
まあ、一段落と言う事で、早速更新です。
昨日は、茉奈佳奈のコンサートへ渋谷に行く途中
子供たちを連れ、約20年ぶりに我が母校
攻玉社中学高校の学祭に行ってきました。
20年ぶりの母校は、偉く変わっていました。
この学校は、日本で二番目に古い学校です。
一番古いのが福沢諭吉の「慶応義塾」で
その次に古い伝統を持つ学校で
明治時代の六大教育家の一人である近藤真琴により創設され、
一世紀以上の歴史を有する伝統校であす。
戦前は海軍兵学校への予備校でして海軍関係の軍人や政治家を数多く輩出しているのです。
でも、近藤真琴先生は世にはあまり知られていません。
というのも死因が当時の伝染病コレラでして
その文献やらがすべて、衛生上の観点から焼き捨てられてしまったからです。
明治時代の多くの海軍軍人を輩出し
また、土木、測量学の権威でした。
文久3年(1863年)に鳥羽藩邸内で出来たこの「攻玉塾」は
他山の石以て玉を攻くべしという教育理念を持っています。
詩経の一説であり、近藤真琴の言葉で最も有名なもので
さびれた石(=他山の石)のように取るに足らないものでも、そこからも学び、自ら(=玉)を向上させていく(=攻く)ことを説いた言葉である。 「攻く」は「みがく」と読む。
攻めると読むと攻撃的な男子校に思われますが
そうではなく、他人たちから学びとり、
自らを磨き上げろ!と言う意味です。
それにしても、後者といい、学生といい
うーん!大夫変わってしまいました。
時代の流れでしょうか?
個人的には、草食男子の多い
マザコン学校になってないかな?
(父兄の母親の多い事、多い事)
まあ今の男子校はどこもこうでしょう!
我が家の子供たちはというと
まだ小さいせいか、
鉄道模型のコーナーで楽しんでましたが
私はというと
すっかり変わってしまった校舎に驚きと戸惑いでしたが
恩師の先生たちとお話しがちょこっとでも出来たのが
救いでした。