歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

トップとは統率力重視

久しぶりの更新です。

つい先月とある会合で知り合った歴史好きの方から頂いたメールに

以下の様な事が書いてありました。


天下分け目の関ケ原の戦いで、
西軍首謀者として、徳川家康率いる東軍と雌雄を決した石田三成
彼は豊臣政権の一閣僚、現代風の言葉で言うと社長室長だ。

勝敗の結果はともかく、
一介のサラリーマンである三成が、
250万石の家康相手に互角に戦った企画力、戦術構想力は、
凡人のなせる業ではない。
彼は、武器や食料の調達など、
裏方の仕事で非凡な能力を発揮した。

その三成、同じく豊臣家家臣であり親友である大谷吉継に、
史上類を見ない大合戦の相談をした。

「誠に失礼ながら、貴殿は、横柄かつ冷たい人間との悪評がある。
違う人間を総大将として立てるべし。」

吉継は、三成に進言した。
その進言をもとに、三成は、
120万石の大大名である毛利輝元を、
西軍総大将として立てることにした。

現在の会社において、トップの資格とは、何なのか。
事務処理が優秀な事務員だろうか?
営業成績がずば抜けている営業マンだろうか?

ぜひ八木幹雄さんのご意見をお聞かせ下さい。

私もついつい以下のように語ってしまいました。

さて、
現在の会社において、トップの資格とは、何なのか。

事務処理が優秀な事務員でも営業成績がずば抜けている営業マンでも無いような・・・

現在と言わず、今も昔も統率力に優れた人材ではないでしょうか?

石田三成関ヶ原の戦いに敗れ、敗戦の将として捕えられた際に、家康から三成を預けられたのは

関ヶ原の戦いの前哨戦の伏見城籠城戦で玉砕した徳川の老臣、鳥居元忠の三男の鳥居成次でした。

彼は、父の仇として預けられた三成を少しも恨まず、

逆に小身ながら大身の主家によく抗した人物として衣服を与えて手厚く厚遇しました。

小説徳川家康では、この行為に対して何故?こんなに厚遇するのか?と三成が成次に尋ねると

「父の元忠は一武将たる石田三成と戦って死んだのではなく、天下統一の為、孤塁を死守し西軍の大群と戦ったのです。

三成を恨む武将も多く、誰かが私怨にて三成を殺すことを恐れた家康が、私怨ならば西軍中父を殺されたそれがしが一番

だからこそ、家康の殿は口には出さないけれども、大事な敵の総大将を汝に預ける、無法者に手出しさせないように、父の名に恥じない働きをせよ

と言われたのだ思います。」と語り、三成を唖然とさせました。

組織であればこそ、トップは部下と意思疎通を密にし、組織全体を同じ方向にもっていくことが必要ですよね!

私はそう思います。と・・・・・

マルハチも徳川家の様に、一枚岩になって痛い限りですね!