久しぶりに歴史のお話を書きます。
先日、やぷミーのひろの産からのコメントに以下のようなものがありました。
余談ですが、20年以上前に放映されたNHK大河ドラマの「武田信玄」を、先日一部ではありますが拝見する機会がありました。(主演は中井貴一さんだったと思います)
その大河ドラマに限らず他の歴史小説等でも、人は城…の言葉通り、信玄の治める甲斐の国は一枚岩の団結を誇っているようにいつも描かれているのですが…実際のところはどうなのでしょうか
晩年はともかくとして、若い頃の武田晴信に、子飼い衆以外の独立心旺盛な家臣や豪族たちが素直に従っていたとはとうてい思えないのですが…。
もし機会がありましたら、その辺りについての八木社長のご見解を記事にして頂けると嬉しいです
2012年06月09日(土) 16時34分 by ひろの
ということで
私なりの見解を書きたいと思います。
私の考え方では、地理的な面が考え方の基本になります。
甲斐という国は、今の山梨県ですが
「山はあるのに山なし県」とも言われます。(笑)
今の都道府県でも、昔の国割りにしても
日本で海が無い「県」や「昔の国」って意外に少ないんですよね
昔でいえば、甲斐、信濃、美濃、飛騨、上野、下野、大和、伊賀、近江、丹波、山城、河内
これらの国々には山があることが共通ですが
上野、下野など関東平野に向かう開けた方面などがあり
四方を完全に山で囲まれている国はわずかしかありません。
風の谷のナウシカじゃありませんが、人間の生活圏として
山間部においては、山間の谷ごとに集落を形成して生きていくのが普通です。
したがって、山間部の国は、山あい毎の集落が豪族などの諸勢力となるのですが
甲斐の国は特別な事情があったのではないでしょうか!
というのも、甲斐の国は甲府盆地を中心に周りを山で囲まれた国だからです。
中央自動車道で甲府方面に行くと、周りは山に囲まれてますが見渡せるようなスペースにすべての風景が見えませんか?
信濃(長野県)に行くと諏訪盆地、佐久盆地、松本盆地、長野盆地、伊那盆地、木曽谷など山によって複数のスペースに分割されていますが
周りを完全に山に囲まれ、一つの盆地(オープンスペース)であるのは、甲斐と近江ぐらいじゃないです
ただ、近江には真ん中に琵琶湖がありますから、諸勢力も分割されます
しかし、甲斐の国だけは広く見渡せるオープンスペースに諸勢力がいますので
さえぎるものが無いからか、甲府盆地内は小さな諸勢力の合議制の共同体だったのです。
そんな中、源氏の子孫たる武田氏がその合議制の中心となるのは必然でして
その他の優良な諸勢力が、盆地内にはあまり育たなかったのですよ
ただし、これも甲府盆地に限定の話で
周りの山間部の大月の小山田氏や、富士山ろくの九一衆とか周りには独立勢力もあるんですが
これらも、甲斐全体の兵力からしてみれば、少数勢力ですし
他国からの援護が当てにできない山間部だからこそ
孤立を招かぬように、武田氏に従っているのではないでしょうか
つまり、甲斐という国は地政学的に自然と武田氏を中心に一枚岩になりつつあったのではないでしょうか
武田の24将が有名ではありますが、この中で甲斐の国に城を持っていたのは、岩殿城の小山田信茂くらいで
反面、武田氏崩壊の時は、小さな各勢力が逃げ惑うようにあっという間に崩壊しています。
そして、これらの武田氏の諸勢力は、本能寺の変後徳川氏に従い
それぞれの勢力が小さいので、井伊直政の陪臣か、徳川家直参の旗本となっていくのです。
ということで、私の結論としては地政学的に
一枚岩とまでは言わないまでも
ある程度、国がまとまっていたのではないでしょうか?
反乱し辛い環境だったのでは・・・・・
久しぶりに、歴史観を書きましたが
あくまでも、私の個人的な意見です。
地図上ではなく、実際に歩いてみるとそんな風に感じます。