歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第65話 秀吉に会う

本日5回目の更新です。

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

本日は、この旅の歩き始めて12日目の事です。

前日に、泊めていただいたご夫婦から

「さぞご両親は心配されているでしょうに」と言われ

まあ 少しは親に連絡でもしてみるかと

この旅で初めてかな?家に電話をしました。

この当時は、携帯電話なんて代物はありませんから

家では「ただ今長男は音信不通!どこかで旅している」状態だったでしょう

電話に出た母親に、「今、藤枝市にいてもうすぐ焼津市かな」なんて言ってみると

「あら? お父さん今日焼津で会合よ!近いじゃない」なんて言ってまして

案外身近に親がいた事にビックリでしたが

特に、会おうと思いもせず、さっさと道を急ぎ静岡方面へ

丸子の山を越える時、ふと目に入ってきたのが



この家「お羽織屋」である

その昔、秀吉が小田原の北条征伐のおり、ここで休んだという

長い旅路で疲れ諸将の乗馬の沓が損じていた。

そこで近くの民家に合った馬沓を所望したところ、主人は三脚分しか差し出さなかった。

馬の脚は四本なのに、なぜ三本分しか差し出さないのか?と尋ねると

戦勝祈願の為だという、

「残る一脚分で戦のご勝利を祈るつもりでございます」

「さようか、お前の名はなんと申す」

「石川忠左衛門と申します」

「ほほう、忠義の忠左衛門か、して、あれなる山は」

「あれは、勝山、それに、この大木は勝の木と申します」

「なに、勝山に勝の木か、めでたい、めでたい。戦には必ず勝って帰るぞ」

と秀吉は機嫌よく出発した。

そして、小田原征伐が完了し、大阪に帰国の折

秀吉は、またこの石川家を訪ね

「そちが祈願の甲斐あって戦に勝ったぞ。約束の馬沓は持ち帰るぞ。褒美の品は何なりと申してみよ」

光栄に感激した忠左衛門が言葉も無く頭を下げていると、

秀吉はつかつかと縁先に来て、着用の紙衣の道服を脱いで忠左衛門に与えた。

それがこの陣羽織なのである



そして「何なりと望みを申せ」と重ねての言葉に

「恐れながら、このあたりは人家も少なく、里人の数も少なうございますので、道中御用を致しますのに手回りかねます。太閤様の御慈悲によって、此儀を御免し頂きとうございます」

「そうか、そち一人のためを思わず、村人の難儀を救おうというのはよい心掛けだ。以後道中諸約を勤める事は許してやろう」

と上機嫌で茶湯にのどを潤して出発した。

後年、徳川家康が鷹狩の途中、石川家に休憩し、その節の秀吉の道服をご覧になって、記念に茶碗を贈った。

その後は此の地を通行する大名や家来たちもこの道服や茶碗を見るため此の家を訪れるものが多かった。

こんなお話でした。

自らの欲でなく、地域の為に貢献したよい例ですね!




私は徳川家康の史跡を旅していただけなのに

歩いていると、思いがけないところで

秀吉や、家康に会うものである。

やっぱり、歩きの旅は、不思議と縁や出会いをくれるんだなぁ!



丸子を越すと、静岡のお茶か?みかんか?段々畑が見えてくる



そして、安倍川の橋を渡ると、静岡市内の駿府城である。



つづく