歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

第62話 小夜の中山、夜泣き石

本日2回目の更新です。

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

本日は、この旅の歩き始めて11日目の事です。

前夜の大雨もおさまり

掛川を出発した私は、東海道を静岡方面に向かいました。

この日は、特別に見学するところなどなく

とにかく、少しでも歩いて距離を稼ぎ

静岡へ向かおうと思ってました。



国道一号線を東に進むと、きつい坂道でした。

この峠を越えないと、大井川まで出ませんから、とにかく歩く事に徹してますと

昔の峠、小夜の中山付近です。

ここは古くから、箱根峠や鈴鹿峠と列んで、東海道の三大難所として知られてまして

また歌枕として古今集などで歌われ、

鎌倉時代初期に西行法師が詠み新古今和歌集に入れられた

「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」の歌碑などがあります。




ここには夜泣き石と言う石があります。


その昔、お石という身重の女が小夜の中山に住んでいました。

ある日お石がふもとの菊川の里(現・静岡県菊川市菊川)で仕事をして帰る途中、

中山の丸石の松の根元で陣痛に見舞われ苦しんでいると

そこを通りがかった轟業右衛門という男がしばらく介抱していたのですが、

お石が金を持っていることを知ると斬り殺して金を奪い逃げ去っていきました。

その時お石の傷口から子供が生まれます。

そばにあった丸石にお石の霊が乗り移って夜毎に泣いたため、

里の者はその石を『夜泣き石』と呼んでおそれました。

生まれた子は夜泣き石のおかげで近くにある久延寺の和尚に発見され、

音八と名付けられて飴で育てられまして

音八は成長すると、大和の国の刀研師の弟子となり、すぐに評判の刀研師となります。



そんなある日、音八は客の持ってきた刀を見て「いい刀だが、刃こぼれしているのが実に残念だ」というと、

客は「去る十数年前、小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ」と言ったため、

音八はこの客が母の仇と知り、名乗りをあげて恨みをはらしたということでした。

その後、この話を聞き同情した弘法大師が、石に仏号をきざんでいったというけっこう怖いお話でした。


徳川家康の旅ですので

あまり関係ないお話ですが

ちょっと載せてみました。


つづく