歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

M君に会いたい

本日は長文にさせていただきます。

社会に出てから、また管理職になってrから

組織全体の秩序の為、切り捨てるという行為を何度と無くしてきました。

お金を盗んだとか、タイムカードを改ざんしてきたとか、

その度に、解雇などを通告するのですが、決して良い気分ではありません。

悪事を働いた者を辞めさせるのは当然のことです。

さすがに、最近はその様な部下はいなく

嫌な思いはしていませんが、

「人を切る」と言う行為は本当に嫌なものです。


はじめて人を切ったのは大学3年の事でした。

当時、ウォーキング部という

山登りのクラブに所属していた私は、

3年生の執行部の時、

クラブの代表の幹事長であるばかりでなく

山登りなどの計画立案等の責任者でもある事業部長も兼任していました。

この2職は本来別々の人間が受け持つのですが

学年に人数がいなかった訳でもありませんが

自分で言うのも何ですが、人格と技術面で周りから推されての事でした

山登りなどしてますと

「人の命を預かる」という立場にしばしば立たされます。

常に問題が発生した際に、最大限の人命を救う立場に置かれ

その為には、時には「見捨てる」といった行為も要求されます。

私は、幸いにして見捨てる行為にいたった事はありませんが

常にこのいった事態は予測し、そうなら無い様に

事前に予防をしていました。

例えば5人のパーティーで山に行き

その内の1人が怪我をしたとします。

すると、残りの4人のうち

最低でも3人に負担がかかります。

怪我した人を背負う人間

怪我を下人の装備を自分の荷物の他に背負う人間

そして怪我した人を背負った人の装備を自分の荷物の他に背負う人間

の3人です。

しかし全体のスピードは間違いなく遅くなり

天候の悪化等があれば、パーティー全体が全滅する恐れもあります。

常にこういった事態を想定し行動する事が義務付けられ

実際に、ダブルザックして降りたことなども何度もありました。

先日北海道で遭難事故などありましたが

ツアーで始めて会った混成チームではリーダーも

各自の体力など把握のしようも無かった事でしょう。

2部隊に分け救援を要請させるとか

時には、多くの人命を助ける為に、怪我人を置いていく

そういった究極の判断をいつも覚悟していました。






そういった生き方をしていた私も、

大学3年の執行部が終わる頃には、

自分がこのような究極の選択をしないでこれた事に関して

安堵感がありましたが

執行部を下級生に譲り渡す際に、究極の選択に迫られました。

私の一つ下の学年は、人数もそこそこいましたが

誰が執行部の役員になるかで紛糾したのです。

当時の下級生の中にM君という者がいまして

彼は私が2年の春合宿で連れて行ったはじめての後輩の1人でもあり

行動力も体力も持ち合わせ、

私のバイトを彼に譲ったほど信頼を寄せていました。

しかし、彼には、独断専行や強調性が欠ける所もありました。

私は後輩としてかわいがっていたのですが

彼の同期の人間とは、執行部の役員人事や方針でぶつかる事が多かったのです。

山登りは1人でするのではなく、

協調性やチームのまとめといった重要な要素があります。

いつまでも妥協せず、自分を通そうとする彼に対し

他の同級生からは反発の声が出て、新執行部人事は紛糾しました。

見かねて調停に入ったのですが

一向に解決の糸がつかめませんでした。

結果、多数決にてM君は新執行部役員には入れませんでしたが

「自分は組織は辞めないが、自分のやりたいようにやる」と言ってました。

新執行部も感情的になってましたが

強く彼に言う人物もいないのがわかっていたので

春からの新人事では、そのまた下の学年や新入生に混乱を及ぼすだろうし

この体制下では、山での事故に繋がりかねませんでした。

私は、親友の篠ちゃんとMくんに何度となく説得をしましたが

M君の言い分もわかりましたし、M君はかわいい後輩でした。

結局私が3年の執行部幹事長として最後にした仕事は

M君を私の名において除名する事でした。

両者が折れない以上、多くの後輩を執行部にさせるには

この方法しかなかったのです。

M君がそのまま在籍しても、山の中での感情のもつれからの事故発生や

いつか同期からの除名処分を下されるのが明白だったからです。

それよりは、親しくしていた先輩の私から除名された方が

彼のプライドを少しでも守ってやれるし

後の後輩たちにも示しがつき、組織が活性化すると踏んだ決断でした。


私の行動を決して正当化はしません。

結果的にかわいい後輩を自分の手で切ったのですから

私に切られたM君の事を考えると、辛い事でした。


この時のことは、今も忘れられません。

親友の篠ちゃんや同期の皆と、よくよく協議し決断したのですが

帰りの横須賀線の車中での悩みぬいた事は

親友の篠ちゃんしか知らないことです。


その後、ウォーキング部は大きな揉め事もなく時が経ちました。

あの時そのまま放って置き、新執行部の中で解決させると言うのも手でしたが

多くの人命を預かりながら活動する事から考えれば

妥当かもしれません。

ただその後、M君に会えないのが心残りではあります。

今、M君はどこで、何をしているのでしょうか?

私が切った人間の中で唯一、悪事を働いた訳でなく

ただ自分を曲げられなかった男でした。


いま、M君に無性に会いたいと思ってます。

もし、このブログを読んでいたら連絡ください。