歴史研究家になりたいグウタラ願望の社長のブログ

文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。

私がポジティブな原点3

本日4回目の更新です。

引き続き 何故私がポジティブなのかの原点を今日は書いてます。

みんなの笑顔の為に泣かない事を誓った日々の事です。

何回かに分けての更新ですので

ここから見た方は、2つ前の記事からお読みください。


5歳の夏前に体調を壊し「赤痢」と間違えられ隔離病棟に1人で

一週間以上入院した時の話の続きです。

隔離病棟というと、外の世界から完全に遮断された世界

毎日、面会の時間は有りますが、一般病棟と違い

面会時間も2時間と決められ、消毒をして

マスク、白衣着用での面会です。

当時両親共に、当社で働いてましたので

なかなか決まった時間に面会に来るなどという事は出来ませんでした。

どうしても、着たり来れなかったりでした。

5歳の子どもには辛い時間でした。病室の中は私以外は5人の家族

他の病室もほとんど一族で入っていたりしたので

病棟内で家族が1人の子どもは、私だけ!

唯一の救いは、赤痢ではなかったので期限付きで出られることのみでした。

それでも、寂しさはありました

前回書いた祖母の電話以来、人前では絶対に泣くまい!と誓いましたが

面会時間は、大変酷な時間でした。

他の人には、知り合いだとかが毎日のように訪れるのですが

私には、来ないのです。

いつ来るか?と面会者が通ってくる廊下で待ちわびても

あと面会時間が30分、15分とタイムリミットが刻々と近づきます。

両親も合いたい気持ちでこちらに向かっている途中車が故障し

路上において、電車やタクシーで向かった事などある程

一生懸命割ける時間を裂いたのですが、商売人の忙しさは半端じゃありません

今の私にはよく理解できます。

子どもの面会が有るから手形をきれないとか

従業員の給料の手配が出来ない、仕入先の支払いが出来ないとか

とても言ってられませんから!当時の5歳の私もその事は理解してました。

でも、泣きたくなる子ども心は抑えきれる物ではありませんでした。

面会の笑顔であふれる病棟内で1人悲しい顔も出来ないので

そんな時は、トイレの個室に入り

思いっきり水を流し続けながら、大泣きするのです。

誰にも気づかれないように・・・・・・・・

やっと、両親が来たとしても、周りの患者に気を使い

文房具やら教材だとかを持ってきてました。

赤痢患者は、半年とか入院している人たちも多く

親子で入っていれば、小学校、幼稚園などにいけませんから

そういった物を用意してましたね


この入院体験で私は、当初自分がかわいそうな局地だと思っていましたが

私は、いろいろな人に支えられているんだという事を自覚しました。

私を気遣う、看護婦さん、周りの患者さん、両親などです。

確かに泣きたくなる事はありましたが、この時以来人前で泣かない!

そして、周りの人たちの為にも、笑顔でいようと決心したのです。

私が笑顔なら、周りの人も救われます。

なかなか面会にこれなかった両親のすまなそうな顔も笑顔でやわらぎますし

すべてがうまく行きます。


人は多かれ少なかれ、辛い事があるでしょうが

辛いから、同情されても祖母の電話では有りませんが

辛さが増すばかり、ネガティブになれば負のスパイラルに陥ります。

5歳のこの一連の出来事で、人を恨んだりすることなく

皆精一杯生きているのだから、結果がどうあれ

その環境で前向きに、笑顔でいれば、ポジティブでいれば

必ず良い方向に行くんだ!と悟りました。

これが、私のポジティブの原点だと思います。

この後の人生において辛い事は多々ありましたが、乗り切れたものです。

ただ、明るいという点では「いたずら」が過ぎるようになりまして

やんちゃな子ども時代を送ったのはどんなものだったのか?





最後まで長文を読んでいただいた方々

ありがとうございました。

これから、先週の祭りの町内の直会(なおらい)です。